岡山市表町商店街にある「SUNAMI」というバッグ店が、9月末で閉店するという記事が、昨日の新聞に掲載されていました。
この「SUNAMI」というお店。
もともと、明治18年(1885)に、当時、15歳だった「角南ちか」という女の子が、京橋の近くの繁華街で、小間物店を始めたのが最初だそうです。
1901年に、表町に移転。化粧品や、雑貨の販売も始めたそう。
しかし、1934年の室戸台風で、浸水。
1937年には、8戸が焼けた火災で全焼。
1945年には、岡山空襲で焼失。
戦後、復員をした次男の小野龍吉さんが、焼け跡にバラックを建てて、お店を再建。
現在の経営者、小野辰也さんは、4代目だそうです。
今回、閉店を決めたのは、業績不振という訳ではなく、もはや、ネット通販で販売が、売り上げの8割を占め、今後は、そちらの方に、商売の重点を移すという話のよう。
時代の流れですね。
町の中から、個人の店舗というものが、次々と無くなって行く。
僕が子供の頃、昭和40年代、50年代の頃までは、家の近くに、個人のお店がたくさんあり、日々の買い物は、基本的に、歩いて行くものだった。
しかし、その後、全ての店舗が閉店し、今では、何か、買いたいと思えば、車で出かけなければならない。
そして、ネット通販の発達で、お店に出かけ、実際に、物を見て、選ぶという楽しみが、無くなってしまった。
悲しいと同時に、味気ない感じがする。
さて、明治18年に、お店を開いた角南ちかさん。
なぜ、15歳の少女が、お店を開かなければならなかったのか。
個人的には、その辺りの事情に興味があるところです。
当時、女性が、生活をして行くだけのお金を稼ぐことが出来る仕事というものは、社会に、ほぼ、存在しなかったよう。
そのため、女性が、経済的に自立をしようと思えば、商売をするしかなかったよう。
この、角南ちかさんのお店は「一人娘・すなみ」という名前で、かなり、繁盛をしたという話。
しかし、これは、幸運な例でしょう。
さて、ここで「樋口一葉」について。
樋口一葉は、明治5年(1872)の生まれ。この、角南ちかさんの、2歳、年下ということになる。
樋口一葉は、兄、そして、父を、相次いで失い、明治22年(1889)に、17歳で、「戸主」となり、一家を、経済的に支えなければならない立場になってしまった。具体的には、母、そして、妹。
さて、どうやって、お金を稼げば良いのか。
樋口一葉の、苦難の生活が、始まります。
母、妹と共に、いくら、何をして働いても、一家を支えるだけの収入を得ることは困難で、一葉と母は、借金に走り回ることになります。
とにかく、借金で、食いつなぐ日々。
そして、一葉もまた、商売をして稼ごうと、吉原の近くで、荒物や駄菓子を売る雑貨店を開くことになるのですが、これが、上手く行かなかった。
また、相場にも手を出そうと考えたようですが、これもまた、上手く行かなかったよう。
そして、たどり着いたのが「小説を書く」という仕事。
もし、一葉が、お金に苦しむことが無ければ、天才作家「樋口一葉」は、生まれなかったかもと思うと、何とも、皮肉な運命です。
しかし、一葉の作家としての人生は、ほんの、短い期間に過ぎなかった。
とても、残念。
この本。
樋口一葉の人生が、一人称で、小説のように語られています。
読みやすく、面白いです。
樋口一葉は、「日記」も残していますが、この「日記」については、また、いつか。