さて、前回、見逃してしまった、早島の弁財天にある厳島神社の巨石群を見に出かけてみました。
社の背後に、ありました。
大きな岩が、ゴロゴロと。
かつて、この辺りは海だったので、これらの岩は、海の波に洗われていたのだろうという話。
もしかすると、この辺り一帯に、かつては、このような岩がゴロゴロしていたのですが、干拓の時に、邪魔だから排除をされるか、そのまま埋められ、この厳島神社の後ろにだけ、残されたということなのかも。
しかし、岩の様子を見ると、人為的に、ここに集められ、積み上げられた感じがしないでもない。
倉敷市天城にある御崎神社の下にも、かつて、藤戸が海だった時に、海の中にあったのだろうと思われる岩が、いくつか、ありましたね。
波に削られて、丸くなった感じのもの。
さて、再び、弁財天港跡。
この用水の水ですが、どうも、先週、訪れた倉敷市酒津の酒津配水池から、供給をされているそうです。
やはり、高梁川から酒津配水池に引いた水が、この辺りの干拓地一帯に供給されていたんですね。
さて、この厳島神社の近くに、このようなものがありました。
文字は、風化をしていて、読めませんが「南無妙法蓮華経」というお題目が書かれていることは、分かります。
この石段の上には、かつて、お社でもあったのだろうと思われますが、今は、何もないようでした。
さて、こちらは、近くの交差点にある道しるべの石柱です。
かなり立派なもの。
明治40年の年号がありました。
その頃、まだ、多くの人が、この道を歩いていたのでしょう。
こちら、道しるべのところにある、大きなお地蔵さん。
ちゃんと、お花が供えられていますね。
今でも、お世話をしている人が居るのでしょう。
良いことです。