パリオリンピックが終わり、卓球の早田選手が、「日本に帰って、まず、何がしたいか」という質問に、「特攻平和会館に行きたい」と答えたというネットの記事を見ました。
今、自分が、こうやって、卓球に打ち込めるのは、当たり前のことではないと思っているいうことのよう。
そして、かつて、国のために特攻に出撃をした人たちの慰霊をしたいということのようでしたが、これに対して、やはり、中国では、ネットで非難の言葉が溢れているという話。
日本の卓球選手は、中国でも、注目度が高い。
だから、このように、非難を受けることになったのでしょう。
韓国や、中国では、学校で、いわゆる「反日教育」が行われているようで、そういう教育を受けた人が、反日感情を持つのは、仕方が無いところでしょう。
日本でも、かつては「鬼畜米英」という教育を受け、アメリカ人など、何をするのか分からない、鬼のように感じていたのでしょう。
そのため、多くの兵士、民間人が、アメリカ軍に降伏をすることを恐れ、自ら、死ぬことを選んだ。
しかし、特攻隊員への慰霊の気持ちを非難するというのは、中国人、日本人ということは関係なく、人間として許せない、と、僕は思います。
戦争を主導した人たちはともかく、国のために戦った兵士を、その国民が慰霊をするという行為は、誰に非難をされるいわれもないこと。
他の国の人が何を言おうが、堂々としていれば良いものだと思います。
さて、この早田選手が言っているのは、鹿児島県の知覧にある特攻平和館のことだろうと思います。
この知覧は、陸軍航空隊の基地があったところで、基本的には、陸軍の航空特攻の史料を集めている施設なのではないかと思います。
しかし、いわゆる「特別攻撃隊」は、航空特攻だけではなく、様々なものがあったということは、これまでも、何度か、書きました。
そして、ここでは、「人間魚雷」と呼ばれた「回天」について。
この本、小灘利春、片岡紀明という人の共著ということになっていますが、小灘さんは、実際に、回天の搭乗員だった人物で、終戦直前に、八丈島に設置された「第二回天隊」の隊長だった人物だそうです。
人間魚雷「回天」が、なぜ、生まれたのか。
人間魚雷「回天」は、どのような兵器か。
搭乗員たちは、どのような訓練を受け、どのような思いで出撃をして行ったのか。
出撃をした「回天」は、どのような戦闘を行ったのか。
そして、どのような戦果を挙げたのか。
様々なことが、詳細に書かれています。
こちらは、図説や写真が多い、ビジュアル重視のムック本です。
そして、それだけに、見ていると、胸が痛い。
この「回天」による特攻作戦で、戦没した搭乗員、106名、全ての写真と、出身地、階級、戦没地、出撃日と戦没日、年齢も記されています。
そして、潜水艦と共に、出撃をして行く、艦上から手を振る回天搭乗員たちの写真も。
彼らの残した遺書も、掲載されている。
最も、若い搭乗員は、17歳です。
今なら、高校二年生。
そして、平均年齢は、20.8歳。
潜水艦で出撃をした回天搭乗員、80名。
第一回天隊(白龍隊)、第18輸送艦で進出をした回天搭乗員、7名。
進出基地にて、空襲被弾し、戦死した回天搭乗員、2名。
訓練中に殉職した回天搭乗員、15名。
戦後、基地にて自決をした回天搭乗員、2名。
戦没潜水艦に同乗出撃した回天整備員、35名。
第一回天隊(白龍隊)、第18輸送艦で進出をした回天整備基地員、120名。
第二回天隊の進出途中の銃撃被弾をし、戦死した基地員、1名。
出撃回天搭載潜水艦の乗組員、812名。
第18輸送艦の乗組員、225名。
計1299名。うち、回天搭乗員、106名。
彼らに対する慰霊の気持ちは、誰が、何を言おうが変わらない。
最近は、そもそも、日本がアメリカと戦争をしたということを知らない若者も増えているという話。
早田選手のような人が、こういった話をしてくれるのは、良いことではないかと思います。
さて、以下、どこで読んだ話か、記憶が曖昧なので、もしかすると、間違っているかもしれません。
あの「アンパンマン」の作者の「やなせたかし」さん。
この、やなせさんの弟は、とても、優秀で、子供の頃に、医者の家に養子にもらわれたそう。
そして、京都帝国大学に進学をしたものの、学徒出陣で、徴兵され、この「回天」の搭乗員に志願し、出撃、戦死をしたということ。
もし、僕のこの記憶が正しければ、上の本の中に、写真が載っているはず。
戦争を実体験した人が減り、戦争の記憶は、次第に、世の中から薄れている。
どうやって、あの時の記憶を繋いで行くのか。
大きな課題ですよね。