ヨーロッパでは、かつて「騎士」と呼ばれる人たちが居た。

この「騎士」って、何なのか。

以前から、興味はあったのですが、調べて見る気は無かった。

 

 

さて、雑誌「歴史街道」の今月号に、この「騎士」に関する話がありました。

 

騎士は、中世ヨーロッパ、中世の半ば、11世紀、12世紀頃に生まれたそうです。

この頃、馬具の誕生、改良が進められ、騎兵が、歩兵以上の強力な戦力になったことがきっかけだそうです。

そして、騎士の集団が誕生することになる。

 

騎士になることは、名誉なことだったようですね。

騎士の叙任式は、盛大に行われたそう。

 

騎士を目指す少年は、7歳になると、名付け親である領主に家に預けられ、修業が始まるそうです。

騎士になるための、知識、技術、規範が、厳しく、教えられたそう。

そして、小姓から「盾持ち」なり、騎士をサポート。

それから、騎士に昇進するようです。

 

騎士と領主は、契約関係にあり、関係を辞めるのは自由だったそう。

また、二人以上の領主に仕える場合もあったそうです。

また、従軍業務は、年間40日から60日に限られ、それ以上の義務は無かったそう。

 

さて、騎士には「騎士道」と呼ばれるものがあります。

騎士が、守るべき規範のようなものでしょう。

 

この「騎士道」とは、まず「勇猛」であること。

そして、主君に対する「忠誠心」が求められる。

更に、「大度」というものも、重要視されたそう。

この「大度」とは、「気前の良さ」ということのようで、自身よりも貧しい騎士や、芸人などに、贈り物をすることを期待されていたそう。

 

また、宮廷での「礼節」も、重んじられたそうですね。

そして、女性に対しても、礼儀正しく、優しく、接しなければならなかったそう。

更に、快活で、社交的であることも求められていたそうです。

 

さて、「騎士団」について。

 

この「騎士団」とは、「祈る人」(修道者)と「戦う人」(騎士)をミックスした集団だったそうです。

 

最初に登場したのは、1070年頃、南イタリア出身の商人がエルサレムの聖墳墓教会の近くに小屋を建てて活動を始めたのが最初だそう。

それが、広く知られるようになり、寄進、寄付が集まり、団員も増え、教会との関連施設も増えて行く。

これは「聖ヨハネ騎士団」と呼ばれたそうです。

 

この「聖ヨハネ騎士団」に、やや遅れて成立したのが「テンプル騎士団」だそうで、フランスの騎士とフランドルの騎士が、聖地で私的に巡礼警護を始めたのが最初だそう。

これを、エルサレム王ボードアン二世が、ソロモン神殿に居住させることによって、一気に、発展をしたそうです。

この「テンプル騎士団」は、王侯、教皇らによる保護、優遇もあり、ヨーロッパ全土に広まったそうです。

 

他には、東欧での異民族からの防衛、キリスト教化、農地経営などで知られる「ドイツ騎士団」や、国王の主導で作られたスペインのいくつかの騎士団が有名のよう。

 

これら、騎士団は、ヨーロッパの各地に広がり、いくつかの管区に分かれて、分割統治を行ったそう。

騎士団ごとに、会則が制定され、制服や紋章も決められたそう。

 

騎士の武装は、剣や槍だったそうで、飛び道具を使うのは卑怯とされたそうです。

そして、歩兵の使う飛び道具から身を守るために、防具が発達をすることになる。

騎士と言えば、思い浮かぶ、あの全身を包む甲冑の登場ですよね。

そして、盾も、必要なものだったそう。

 

この「騎士」が、戦場で活躍をした時期は、11世紀から13世紀くらいということ。

それ以後は、飛び道具が発達し、騎士よりも、歩兵の方が、重要な戦力となって行く。

また、同時に、領主たちにとって、騎士に頼るよりも、傭兵を雇った方が経済的、効率的になり、騎士は、衰退をして行くことになる。

 

その後、更に、大砲や銃が、戦場で使われるようになると、騎士は、無用の存在となり、消滅をすることになる。

 

しかし、「騎士道精神」は、ヨーロッパの中に残り続け、今でも、「騎士」は、爵位の中に残されている。

 

さて、世界の歴史の中で、いわゆる「封建制度」というものが存在したのは、このヨーロッパの「騎士」と、日本の「武士」だけという話は、昔、聞いたことがありましたが、やはり、「騎士」と「武士」とは、似ているようで、かなり違いもありますよね。

なかなか、興味深い。

 

ちなみに、1241年、ユーラシア大陸に巨大な国家を創り上げたモンゴル帝国のヨーロッパへの侵攻を警戒した国王たちは、テンプル騎士団、ドイツ騎士団、聖ヨハネ騎士団を始め、総力を結集してモンゴル軍を迎え撃ちますが、大敗を喫することになる。

これが「ワールシュタットの戦い」です。

しかし、このまま、ヨーロッパを席捲するかと思われたモンゴル軍ですが、二代皇帝「オゴタイ・ハーン」の死によって、軍を戻すことになるんですよね。