雑誌「歴史街道」の今月号。

特集は「北条時行と足利尊氏」ということで、さっそく、購入。

 

 

さて、特集の方は、さておき、「これが、本当の大江戸捜査・八百八町の警察機構を探る」という記事があり、面白いです。

 

時代劇で、町奉行や、捕り物をテーマにしたものは、色々とありますよね。

有名なとこでは「大岡越前」「遠山の金さん」「銭形平次」などなど。

しかし、実際に、江戸の事件捜査、捕り物は、どのように行われていたのでしょう。

 

そもそも、「江戸町奉行」というもの。

今で言う警視庁のような、単なる「警察機関」という訳ではありませんでした。

今で言えば、東京都庁、警視庁、裁判所の全てを兼ねる、「江戸」という町に関する、行政、警察、司法の、全てを司る機関でした。

そのため、「江戸町奉行」は、幕府の役職の中でも、最も、ハードワークの役職だったそう。

 

さて、この膨大な業務の中で、警察関係の仕事をするのは、どこの部署だったのか。

 

事件捜査にあたるのは、町奉行に所属をする「与力」「同心」の中でも、「吟味方」という部署に所属をしている人たちだったそうです。

そして、この与力、同心は、私的に「岡引き」(目明し・手先)という人物を雇っています。

 

町奉行には、「北町奉行」「南町奉行」の二つがありましたが、それぞれに、与力が25騎、同心が100人、所属をしていたそうです。(後に、同心、20人が、増員される)

さて、この中で、「市中見廻り」を行うのは、「廻り方」と呼ばれる、同心、6人。(後、12人に増員)

 

この「市中見廻り」には、「隠密廻り」「定廻り」「臨時廻り」の三つがあったそう。

「隠密廻り」は、市中の風聞などを調べるもの。

「定廻り」は、定期的な巡回。

「臨時廻り」は、臨時の巡回。

この三つが、同心を6人、一組で、行われたそう。

 

ちなみに、町奉行が、捕り物や吟味に関わることは無かったそうですね。

町奉行は、与力が作成した判決文を、お白洲で読み上げるだけだったそうです。

 

さて、江戸の町で、事件捜査の中心になったのは「岡引き」だそうです。

この「岡引き」の下に、「下引き」という人物も居たそうで、幕末期には、彼らは、千人ほど、江戸に存在をしていたそう。

もっとも、これでも、江戸という町の治安維持には、数が、少なすぎる。

そこで、町奉行は、江戸の各町の名主(町役人)に業務委託をすることになる。

 

そして、江戸の各地の町に置かれたのが「自身番屋」です。

この「自身番屋」は、いわば、町奉行の出張機関のようなもの。

この「自身番屋」には、町が雇った「書役」と呼ばれる人が詰めていて、警察業務はもちろん、行政全般の仕事に関わることになる。

この「自身番屋」には仮牢もあったそうで、怪しい人物を捕まえれば、そこに入れて、奉行所に引き渡すことになる。

 

さて、実際に、捕り物に当たったのは、同心だったそうですね。

与力は、現場には行くものの、捕り物には関わらなかったそう。

では、与力が、現場で何をしていたのかと言えば、同心たちの活躍を見て、その手柄の評価をすることだったそう。

一番最初に、犯人に組み付いた者が、一番の手柄と認定されたそうです。

また、犯人が、抜刀して、抵抗をした場合、「斬り捨て御免」の指示を出すのも、与力の役目だったそう。

 

さて、現行犯については、同心の「三廻り」で、捕縛することもあったそうですが、基本的に、事件捜査をするのは「岡引き」だったそうです。

この「岡引き」たちは、町の事情に詳しく、毎朝、決まった場所に集まり、情報交換も行っていたそう。

嫌疑をかけた者を、自身番屋に呼び出し、事情聴取をすることも黙認されていたそうです。

同心の指示で、容疑者を呼び出すこともあったそうで、この場合、基本的には、同心が自身番屋を訪れ、取り調べをしたそうです。

 

もっとも、「岡引き」が、いつも、正しいことをしていた訳ではなく、遺恨のある者を冤罪にしたり、犯人を見逃したりすることもあったよう。

 

さて、以下、昔、読んだ、別の本から、記憶を頼りにして書きます。

 

江戸町奉行は「北町奉行」「南町奉行」の二つに分かれていますが、これは、江戸の町を「北」「南」の二つに分けて管轄をしていた訳ではありません。

一か月交代で、「北町奉行」「南町奉行」が、交互に、仕事を受けつけていたそうです。

もっとも、仕事を受け付けていない月は、休みという訳ではありません。

受け付けていない月は、前の月に受け付けた仕事をこなしていたようです。

一時、「北」「南」に加えて「中町奉行」と呼ばれるものも設置されたようですが、これは、すぐに、無くなってしまったよう。

 

また、江戸町奉行は、江戸の町、全てのことを管轄していた訳ではなく、幕府直臣の旗本に関すること、各藩の藩士に関すること、お寺、神社に関することは、管轄外で、町奉行は、手を出すことは出来なかったよう。

また、被差別民に関しては、弾左衛門の管轄だったことは、以前にも、書いたろこと。

 

確か、市民が何か事件を起こしても、お寺や神社に逃げ込み、匿われたら、町奉行は、手が出せなかったんですよね。