古代中国で生まれた思想である「老子」について。
この「老子」は、いわゆる「諸子百家」の中で、個人的に、最も、関心を持っている思想です。
もっとも、僕は、「老子」を研究する学者、と、言う訳ではないので、単に、「老子」全81章に書かれていることを読んで、個人的に、色々と考え、勝手に、解釈をし、自分自身の生活の助けにしようと思っているだけ。
だから、それは、他の「老子」に詳しい人からすると、決して、正しいものではないでしょう。
さて、「老子」に関する本は、数多く、ありますが、その中でも、個人的に、最も、読みやすいと思ったのが、この本。
この本、余計なことが、あれこれと書かれていなくて、とても、シンプルで、読みやすい。
何も知識の無い人が、「老子」を読むにあたって、最初に読むのに、最も、適した本ではないかと思うところ。
そして、何度も、読み直すにも、手軽で、良いです。
本の冒頭に、著者と「老子」との関係、そして、「老子」についての、簡単な説明が書かれている。
そして、「なぜ、バカボンのパパと、『老子』を読むことにしたのか」という説明と、著者と、赤塚不二夫さんとの関係も、少し、書かれていて、面白い。
しかし、これらは、特に、重要な話ではなく、大切なのは、内容です。
この本に書かれているのは、全81章、それぞれの「老子」の原文、書き下し文、日本語訳、そして、バカボンのパパなら、こういう風に解釈をするだろうという感じの文章で、パパのセリフとして解釈が、書かれています。
その他に、余計なものは、何も無い。
そこが、この本の良いところ。
さて、少し、余談。
そもそも、この「老子」を書いたのは、誰なのか。
前漢の時代に書かれた、司馬遷の「史記」に「老子伝」がありますが、そこには、三つの説が挙げられているそうです。
つまり、司馬遷が「史記」を書いた時には、すでに、「老子」が誰なのか、確かなことは分からなくなっていたということ。
個人的には、三つの説とも、伝説のようなもので、信用は出来ないと思っていますが、その中で、最も、有名なもの。
老子は、姓は「李(り)」、名は「耳(じ)」、字は「耼(たん)」という人物。
老子というのは、通称です。
楚の国の人。
老子は、周の国の守蔵室(図書や公文書を管理する場所)の官吏だったということ。
周の国が衰えたことで、職を離れ、旅をしていたところ、ある関で、その関所の長官である尹喜という人物に請われて「老子」を記したということ。
もっとも、この「老子」は、一人によって書かれたものではないのでしょう。
根本になったものは、一人の手によって書かれたのかも知れませんが、その後、多くの人たちが、それに手を加え、今の「老子」になったと考えられます。
この「老子」の思想内容からすると、孔子よりも、かなり後の時代に書かれたことが分かるそうです。
ちなみに、「老子」には、孔子の思想を批判する表現が、多く記されています。
さて、この「老子」という本は、今は、「上」「下」の二つに分かれ、上は37章、下は44章に分かれている。
しかし、そもそもは、「上」「下」の二つに分かれているだけで、名前も付けられていなかったそう。
これは、紀元前200年前後に書かれたと思われる「老子」が発見されていて、その本もまた、「上」「下」の二編で、名前は無く、「史記」の「老子伝」に書かれている内容と合致しているということ。
そして、時代が、やや、過ぎた頃の「老子」も発見されていて、それには、「上」の末尾に「徳」、「下」の末尾に「道」と記されているそう。
さて、この古代の、二つの「老子」は、今とは、「上」と「下」の順序が逆になっていたということ。
ちなみに、「老子」の思想では「徳」よりも「道」を上位に置いている。
また、そもそも、「老子」は、「章」に分かれていなかったということ。
「老子」が、81章に分けられたのは、後世の研究者たちの行ったこと。
この「老子」は、後の「荘子」と共に、「老荘思想」と呼ばれ、中国で発展した仏教の「禅」に、大きな影響を与えることになる。
だから、親しみが湧くのかも。