多くの人が知っている「竹取物語」は、日本最古の「物語」として有名ですよね。

しかし、誰が、いつ書いたのかということは、明確ではないそう。

研究によれば、大体、9世紀の末(平安時代初期)の頃に、中級貴族の知識人男性によって書かれ、藤原政権に批判的な立場の人が書いたのではないかと考えられているということ。

あの「源氏物語」の中でも「物語のいできはじめのおや」と紹介をされているそう。

 

 

さて、上の本から物語の紹介。

 

昔、「竹取のお爺さん」と呼ばれる人が居た。竹を取り、それを様々なことに使って生活をしている。生活は貧しい。しかし、他の村の人たちとは違い「讃岐造」(さぬきのみやつこ)という立派な名前を持っていた。

ある日、お爺さんは、竹の中に、根元の光っているものがあるのを見つけた。その中には、小さな、かわいらしい女の子が座っている。

お爺さんが、その女の子を育て始めたところ、竹の中に砂金が入っているものを見つけるようになった。そして、お爺さんは、大金持ちに。女の子は、三ヶ月ほどで、大人の女性に成長した。

この「かぐや姫」は、たちまち、世の中の評判になり、男たちは、かぐや姫を一目見たい、自分の妻にしたいと思い、お爺さんの屋敷に殺到した。しかし、かぐや姫は、全く、相手にせず、男たちは、かぐや姫を諦める。しかし、その中で、残ったのが、「石作りの皇子」「庫持の皇子」「右大臣阿部御主人」「大納言大伴御行」「中納言石上麻呂足」の五人。

お爺さんは、この五人の中の誰かと結婚をさせたいと思うのですが、かぐや姫は、結婚をする気がない。しかし、五人は、諦めない。そこで、かぐや姫は、五人に課題を出し、それをクリアした人と結婚をすると言う。

石作りの皇子には、「仏の御石の鉢」を。庫持の皇子には、「蓬莱山にある、白銀を根に、黄金を茎に、白玉を実にして成る木の枝」を。右大臣阿部御主人には、「中国にある火鼠の皮衣」を。大納言大伴御行には、「龍の首に光る珠」を。中納言石上麻呂足には、「燕の持っている子安貝」を。

五人は、早速、それを探し始める。

 

石作りの皇子は、三年後、大和国にある山寺の賓頭盧の前に置かれていた鉢を取って、偽造をして、かぐや姫のところに持って来る。

しかし、本物ならあるはずの光が無いので、かぐや姫は、簡単に、偽物だと見破る。

 

庫持の皇子は、「玉の枝を取りに行く」と周囲に宣伝し、身を隠すと、密かに、「玉の枝」の製造工場を作り、そこに職人を集めて、「玉の枝」の製作に取りかかった。そして、完成をすると、いかにも、長旅から帰ったというように装い、かぐや姫の屋敷を訪ねる。

庫持の皇子は、この「玉の枝」を見つけるのに、いかに、苦労を重ね、長旅をしたか、饒舌に話し始める。そして、お爺さんも、かぐや姫も、その庫持の皇子の作り話を信じ始めた頃、その「玉の枝」を製作した職人たちが「まだ、金を貰っていない」と、かぐや姫の屋敷を訪れ、嘘が、全て、バレてしまった。

 

右大臣阿部御主人は、「王慶」という中国の商人に、「火鼠の皮衣」を探してくれるように大金を渡して、依頼する。王慶は、右大臣の家臣、小野房守と共に、中国に行く。小野房守は、無事に、「火鼠の皮衣」を持って、日本に戻って来た。そして、王慶の手紙には、「相当な苦労をして手に入れたので、貰ったお金では足りませんでした。足りない分を送って下さい」と書かれていて、右大臣は、その追加のお金を、王慶に送る。

右大臣は、その「火鼠の皮衣」を持って、かぐや姫の屋敷を訪れる。しかし、その「火鼠の皮衣」は。火をつけると燃えてしまった。つまり、偽物だったということ。右大臣もまた、王慶に騙され、大金を巻き上げられたという訳である。

 

大納言大伴御行は、家来たちに「龍の珠」を探すように命じる。しかし、そんなことは無理だと思った家来たちは、探しに出たふりをして、思い思いに身を隠してしまう。

大納言は、かぐや姫を屋敷に迎える用意をし、家来の帰りを待つのだが、いつまで経っても、帰って来ない。しびれを切らした大納言は、難波の港まで出かけ、そこで、家来たちが、探しに出かけていないことを知る。

怒った大納言は、自ら、船に乗り込み、探しに出かけるのですが、大嵐に巻き込まれ、命の危険を感じる。「これは、龍の怒りだ」と船頭に言われた大納言は、「龍の珠」を取ることを諦め、命からがら、引き返した。

酷い体験で病気になった大納言は、かぐや姫の屋敷を訪れることなく、かぐや姫を「人殺しだ」と罵る。

 

中納言石上麻呂足は、「燕の子安貝」を見つけるには、どうすれば良いのか。人のアドバイスを受けて、家来を送るが、なかなか、見つからない。

そこに「倉津麻呂」という物知りのお爺さんが、更に、アドバイスをし、中納言は、大いに喜び、また、家来を送る。

しかし、やはり、なかなか、見つからない。

しびれを切らした中納言は、自ら、倉津麻呂のアドバイスの通り、「燕の子安貝」を見つけようとするのだが、「見つけた」と思ってつかんだのは、燕の糞だった。

中納言は、そのショックで、病気になって衰弱。世間の笑い者になったことで、ますます落ち込み、亡くなることに。

 

そして、いよいよ、帝の登場。

かぐや姫の評判を聞いた帝は、内侍房子を、かぐや姫の屋敷に送り、求婚をするのですが、かぐや姫は、これも拒否する。何とか、かぐや姫の姿を見たいと思った帝は、狩りのついでに、かぐや姫の屋敷に立ち寄ったということにして、かぐや姫の姿を目の当たりにし、その美しさに、ますます、好きになってしまった。

帝は、強引に、かぐや姫を連れ帰ろうとするのですが、かぐや姫は、姿を消し、光に代わる。これでは、どうしようもないと思った帝は、「もう一度、姿を見せてくれ」と言い、かぐや姫は、光から、元の姿に戻った。

 

帝と、かぐや姫との手紙での交流が始まる。しかし、その頃から、かぐや姫は、月を見ては、悲しむようになった。「自分は、ある罪を犯して、月から、ここに送られて来た。しかし、もう、帰らなければならない時期になっている」と、お爺さんに言う。

お爺さん、お婆さんは、それを聞いて、とても悲しんだ。

その話を聞いた帝は、兵士を、かぐや姫の屋敷に送り、警護をさせる。しかし、それが無意味なことを、かぐや姫は、分かっていた。

月から、天人が、かぐや姫を迎えに来た。屋敷を守る兵士たちは無力であり、厳重に戸締まりをした扉も、自然に開く。お爺さんも、お婆さんも、最後の抵抗をするが、意味がない。

天人は「不死の薬」と「天の羽衣」を持って来ていて、それを、かぐや姫に渡す。

かぐや姫は、手紙を書き残すと、その薬を飲み、羽衣を着ると、天人となり、月に戻って行った。

 

お爺さんとお婆さんは、かぐや姫の手紙を読んで、悲しみ、不死の薬も、口にしなかった。帝もまた、かぐや姫の手紙を読んで悲しみ、手紙と、不死の薬を、天に最も近い場所である富士山の山頂で、燃やす。

 

以上、「竹取物語」のお話です。

 

さて、物語本編の他にも、色々と、解説を読んでいると面白い。

その中で、印象に残ったものを、いくつか。

 

子供が、トイレとして使う「おまる」がありますよね。

それが、なぜ「おまる」という名前なのか、以前から、気になっていました。

どうも、昔、大小便をすること、つまり、排泄をすることを「まる」と言ったそうですね。

だから、大小便をする時に使うことを「おまる」と言うそうです。

 

ちなみに、以前、読んだ本によると、船の名前や、刀の名前、子供の名前など「○○丸」と付けられることが多いですが、この「○○丸」の「丸」もまた「おまる」の「まる」と同じ意味だそうです。

かつて、日本には、「汚いもの」に、「魔除け」「邪気払い」の力があると信じられていたそうです。

だから、名前に「丸」という「汚いもの」を付けることで、そのものを守る力を得ていたということ。

 

また、「富士山」という名前ですが、この「富士」というのは、この「竹取物語」で、帝の命令で、かぐや姫の手紙と、不死の薬を、山頂で燃やすために、多くの兵士たちが、山に登ったことから来ているという話のよう。

「多く(富)の兵士(士)の登った山」、つまり「富士山」です。

ちなみに、「富士山」の「富士」は「不死」の変化したものという説がありますが、この説は、「多くの兵士」から「富士」となったという説よりも時代が下るそう。

 

ちなみに、平安時代には、この富士山は、30年くらいの周期で、噴火をしていたそうです。

平安時代には、常に、山頂から煙りが登っていたということで、この「竹取物語」のラストシーンに繋がったということのよう。

 

なかなか、面白いですね。