新田次郎の短編「孤島」を読了。

南海の孤島「鳥島」を舞台に、その島にある気象観測所の所長「笹山」を主人公に、15名の男たちが、半年もの間、何もなく、淡々と、仕事をしながら、島で過ごす訳ですが、その長期に渡る、何の刺激も無い日々で、次第に、人間関係、そして、人間の精神状態が不安定になって行く様子を描く。

 

 

所長の笹山は、島に来る前、所長として、どう振る舞えば良いのか、アドバイスを受けていた。

それは、「何かをしろ、何かをするな、と、言わないこと」ということ。

それは、閉ざされた、刺激の無い場所の中で、人間関係を悪化させる原因になるということ。

笹山は、所員たちにあまり強い関与はしないように気を配りながら、人間関係の調整に苦心をして行くことになる。

しかし、長期に渡る、閉じた空間の中で、毎日、同じ人たちと顔を合わせていると、雰囲気の停滞、精神状態の悪化は、避けられない。

 

同じような状況での人間関係を描いたものに、藤子F不二雄さんのSF短編「イヤなイヤな奴」があります。

こちらは、巨大な輸送用宇宙船での、長期の仕事にたずさわる船長以下、5人の乗組員の物語。

こちらも、閉ざされた空間。そして、長期の旅の中で、人間関係は、次第に悪化をし、ついに、「キヤマ」と「ヒノ」の二人が激しく対立し、一触即発の状態に陥ってしまう。

 

 

 

閉じられた空間の中で、悪化をした人間関係を、どうしたら改善することが出来るのか。

「イヤなイヤな奴」では、「ミズモリ」という人物が、キーポイントになります。

実は、このミズモリは、特別な使命を持って、この宇宙船に乗り込んでいた。

それは、「わざと嫌われ役になり、他の人間たちを結束させる」ということ。

キヤマとヒノとの対立が頂点に達した時、ミズモリは、ついに、非常手段に出る。

船長を始め、他の乗組員たちが激怒をする行動を、わざと起こし、彼らから袋叩きにあったミズモリは、何とか、彼らから逃れると、エンジンルームに入り、制御弁を握る。

制御弁を抜かれては、宇宙船が爆発をしてしまうので、誰も、ミズモリに手を出せない。

乗組員たちは、キヤマ、ヒノを始め、協力をして、ミズモリを監視。

何日もの間、不眠で制御弁を握り続けたミズモリは、宇宙船が、無事に地球についたところで、逮捕される訳ですが、実は、ミズモリは、「無事、宇宙船を地球に戻す」という役目を果たしてということで、多くの報酬を手にすることになる。

 

人間には、「共通の敵」「共通の目的」を持つことで、結束をするという性質があります。

「イヤなイヤな奴」では、「ミズモリ」が、意図して、周囲の敵になることで、乗組員の結束を強めることになる。

 

では、「孤島」では、どうなのか。

 

鳥島では、かつて「アホウドリ」が大繁殖していたのですが、乱獲により、絶滅をしたと思われていた。

しかし、笹森は、偶然に、まだ、鳥島に、アホウドリが居たということを発見。

所員たちも、このアホウドリの発見に沸きますが、このアホウドリが、山猫に襲われているということが分かり、所員が、一丸となって、山猫退治に乗り出します。

 

そして、その後、強力な台風が、鳥島を直撃。

その台風への対処で、また、所員が一丸となり、笹山もまた、「何かしろ、何かをするな」という立場ではなく、もっと、自分が、リーダーシップを発揮するべきだったのではないかと気が付く。

 

どちらも、「共通の目的」「共通の敵」に対することに、所員たちが結束を強めたということ。

 

さて、この鳥島の観測所ですが、今では、廃止をされているそう。

史実として、アホウドリを再発見したのは、昭和26年1月5日、この観測所に居た所長の山本正司という人だったそうです。

これは、小説の最後に、書かれています。

 

鳥島の観測所が廃止をされてから、保護活動が活発となり、アホウドリは、順調に数を増やしているということのようです。

 

さて、この「アホウドリ」ですが、名前の由来は、人が近寄っても、逃げることがないので、簡単に、捕獲をすることが出来たので、つけられた名前だそう。

ちなみに、英語の名前「アルバトロス」は、ラテン語で「お人よし」の意味だそうです。

この簡単に捕獲が出来るという性質のため、羽毛を取るために乱獲され、一時は、絶滅をしたと思われていた。

生き残っていたのは、奇跡的ということになるのでしょう。

 

ちなみに、この鳥島は、あの「中浜万次郎」が、仲間の漁民と共に、漂着をした島でもある。

万次郎たち漂流者は、この鳥島で三か月も過ごした後、アメリカの捕鯨船に救助されることになる。

この時、簡単に捕獲をすることが出来るアホウドリは、貴重な食料だったことでしょう。

 

 

この井伏鱒二「ジョン万次郎漂流記」は、中浜万次郎の生涯を、コンパクトに、分かりやすくまとめていて、なかなか、面白い小説です。

ちなみに、中浜万次郎を「ジョン万次郎」と表現したのは、この小説が最初だとか。