新田次郎の短編小説「山犬物語」を読了。
時代は、江戸時代の末期で、主人公の「太郎八」は、娘が、「山犬」に驚き、川に落ちて亡くなったことで、山犬を、娘の敵と、山犬退治を行うことになる。
その頃、山犬は、神様のように畏怖されていて、村の人たちは、山犬退治を始めた太郎八を、非難の目で、見つめることになる。
しかし、太郎八が、山犬退治を行っても、祟りのようなものがある訳ではない。
次第に、村人たちも、太郎八の行動に、協力をするようになって行く。
そして、山犬の間で、狂犬病が蔓延をするようになって、藩主が、報奨金を出し、山犬退治を、民衆に奨励をするようになる。
太郎八は、村の中心になって、山犬退治を進める訳ですが、太郎八の良き理解者だった妻もまた、狂犬病の山犬に噛まれて、亡くなることに。
太郎八は、ますます、山犬退治にのめり込んで行くようになる。
狂犬病の被害が増すに連れ、村人たちも、次第に、太郎八と行動を共にするようになる。
しかし、太郎八もまた、狂犬病の山犬に噛まれることに。
そして、太郎八は、村人たち総出で行う山犬退治の大将として、村人たちを率いて山に入り、山犬たちの本拠地「お犬岩」に攻め込む。
それから、山犬騒動も落ち着いて行くことになるのですが、太郎八は、狂犬病を発病。
山犬退治の功を認められ、名字帯刀が認められることになるのですが、それから間もなく、土蔵の中に籠ったまま、亡くなることになる。
さて、この小説に登場する「山犬」ですが、先に読んだ短編「おとし穴」と共に、この「山犬」とは「ニホンオオカミ」のことだろうかと思って読んでいたのですが、「山犬物語」の中には、この「山犬」が「ニホンオオカミ」とは別物と思われるような描写もあり、ならば「山犬」とは、どういう存在なのだろうかとネットで調べてみると、「山犬」とは「明治時代までのニホンオオカミの呼び名」だと書かれていました。
やはり、新田次郎さんは、「山犬」を「ニホンオオカミ」という認識で、小説を書いていたのでしょうかね。
さて、この「山犬」と「ニホンオオカミ」ですが、最近、当時、小学生だった女の子が、東京国立博物館に保管されていた「山犬の一種」と言われていた剥製標本を「これは、ニホンオオカミではないか」と見抜き、周囲の助けも借りながら、何年もかかって論文を書き上げ、発表。
その「山犬」と思われていた標本は、実は、「ニホンオオカミ」だったと認定されて、大きな話題になりましたよね。
この女の子は、絶滅動物に関心を持つ「博士ちゃん」として、テレ朝の「博士ちゃん」に出演していた女の子でもあり、番組で、その標本を見てから、論文を発表するまでの経緯を、ドラマ仕立てで、放送していましたね。
子供の純粋な目と、信念には、凄いものがありますね。
大人は、その標本に「ヤマイヌ」と書かれていれば、「ヤマイヌ」として、何も、疑わなかった。
この場合、「ヤマイヌ」とは、「ニホンオオカミ」ではなく、単に、山に住んでいた野生の犬ということで「ヤマイヌ」と呼ばれたものでしょう。
つまり、かつて「ニホンオオカミ」と、オオカミ以外の、山に住む野生の犬は、「ヤマイヌ」として、混同されていたということなのでしょう。
この「ヤマイヌ」の一種と表示されていた「ニホンオオカミ」の標本は、かつて、上野動物園で飼育されていたものが、標本として、博物館に寄贈されたという経緯のよう。
かつて、上野動物園で、ニホンオオカミが飼育をされていたことがあるという話は、どこかで見て、知っていました。
しかし、その中の一頭が、標本として保管されていたとは。
当時は、まさか、それから間もなく、ニホンオオカミが絶滅するなど、誰も想像しなかったので、写真や動画などは、残っていないという話。
よく、標本として、残してくれたものです。
個人的に、「ニホンオオカミ」には、大きな興味を持っているので、何か、情報があれば、注意をして見るようにしている。
今でも、まだ、ニホンオオカミを探し続けている人が居るそうですが、恐らく、もはや、絶滅をしているはずで、見つけるのは困難でしょう。
絶滅の原因は、「山犬物語」の中でも描かれていた、狂犬病の蔓延、そして、害獣として、人間によって、乱獲をされたこと。
他に、山の開発などで、住む場所を失ったということもあるのでしょう。
今、地球では、過去に何度か起こった「大量絶滅」と呼ばれる時期以上のスピードで、生物の絶滅が進んでいるという話。
その原因は、「人間である」として、間違いのないところです。