新田次郎の短編「凍傷」と「おとし穴」を読了。

まずは「凍傷」について。

 

 

この「凍傷」は、富士山山頂への、気象観測所の設置、運用に情熱を燃やす気象台の技師、佐藤順一の物語です。

これも、事実をベースにした物語のようですね。

どこまでが事実で、どこからが創作なのかは、個人的には、よく分からないところ。

しかし、冬の富士山の過酷な状況は、かなりリアルで、とても、興味深い。

 

かつて、富士山という場所は、冬には、到底、行ける場所ではないと思われていたようですね。

そして、1895年(明治28)2月、野中到という人物が、初めて、富士山頂への冬季登頂に成功。

同年10月、野中到は、妻と共に、再び、富士山に登り、越冬観測を試みますが、高山病と栄養失調で、下山。

この野中夫婦の行動は、当時、世間で、大きな話題となったそうです。

 

そして、小説の主人公、佐藤順一。

富士山頂の観測所は、国が、必要だから作ったものと勝手に思い込んでいたのですが、そうではなかったようですね。

国は、その必要性は認めていたものの、やはり、富士山頂での越冬観測には、命の危険があると、予算を出すことは出来なかったよう。

そこで、佐藤は、まず、私的な施設として、富士山頂に観測所を作り、そこで、実際に、越冬観測を実施し、その実績を持って、国にアピールし、観測所を、国の施設として認めさせようと考え、実行に移す。

 

それにしても、冬の富士山が、これほど過酷な場所だったとは。

今の観光地にようになっている富士山のイメージからは、想像できません。

佐藤順一は、この越冬観測を成功させるため、二人の強力と共に、冬の富士山に挑みます。

必ず、成功させなければならないという考えの元、強力の意見を無視し、無理をした結果、足に「凍傷」を負う訳で、それが、小説のタイトルになっています。

 

そして、この佐藤順一による越冬観測の成功を受け、国からの予算も出て、富士山頂の観測所は、国の気象台の施設として認められることになる。

昭和6年から、気象台の職員による観測が始まり、そこから、急速に、富士山に登頂するための設備が整えられ、多くの人が富士山に登るようになり、富士山は、登りやすい山になったと、小説は結ばれています。

 

ちなみに、観測所の象徴的存在だった丸いレーダードームは、1999年に廃止。

更に、2004年には、自動観測となり、観測所は、無人となったそうです。

富士山のレーダードームは、山梨県の富士吉田市の「富士山レーダードーム館」に展示をされているということ。

 

さて、「おとし穴」。

 

この「おとし穴」は、完全なフィクションで、主人公の万作という金貸しをしている男が、金を貸している相手、仲間たちと酒を飲んだ後、仲間たちの引き留めるのも聞かず、雪の山路を、家に帰ることにする。

そして、途中で、山犬を捕獲するために作られた、大きな「おとし穴」に落ちてしまう。

その「おとし穴」には、先に、一匹の山犬が落ちていた。

万作と山犬は、命をかけて、「おとし穴」の中で、対峙することになる。

 

この「おとし穴」という短編。

実に、よく出来ています。

まさに「上手い」と思える物語。

オチもよく効いています。

 

ちなみに、この「山犬」の描写を見ていると「山犬」というより「ニホンオオカミ」のイメージに近いのではないかと個人的には、思うところ。

その辺り、新田次郎さんは、どう考えていたのだろうかと想像します。