赤塚不二夫さんの漫画「おそ松くん」。
赤塚不二夫さんの、最初の大ヒット漫画ということになるようですね。
僕が子供の頃、赤塚不二夫といえば「天才バカボン」だった。
「天才バカボン」「元祖天才バカボン」は、何度も、再放送があり、何度も見ていた。
しかし、この「天才バカボン」以前、「おそ松くん」という漫画で、大ヒットを飛ばしたということは、知識としては、知っていました。
そして、「おそ松くん」が、「六つ子」が主人公だということも。
しかし、当時はまだ、小学生の子供。
近所の小さな本屋には、「おそ松くん」はもちろん「天才バカボン」の単行本など、置いているはずもない。
インターネットも、当然、無いので、「一体、どのような漫画なのだろう」と、興味がありながら、読む機会が無かった。
そして、確か、僕が小学生の五年生の頃のこと。
母親の実家の近くに、一件の本屋が出来たんですよね。
そこは、大人向けの本、つまり、アダルト系の雑誌などを多く置いている本屋で、近くにパチンコ屋があり、そのパチンコ屋に来る大人をメインターゲットにした本屋だったのでしょう。
母親の実家に遊びに行った時、その本屋に入ってみたところ、当然、子供なので、アダルト系の雑誌などに興味がある訳もなく、漫画の単行本が並んでいる棚のところに行ってみたところ、他の本屋では見かけることがない、面白そうな漫画が、たくさん、並んでいたんですよね。
それは、やはり、小学生の子供ではなく、大人に買ってもらうことを意識した漫画。
その中に、「天才バカボン」「おそ松くん」の単行本が、ずらりと並んでいるのを見て、驚いたんですよね。
そして、藤子不二雄さんの「TPぼん」の単行本も並んでいて、「藤子不二雄が、こんな漫画を描いていたのか」と、初めて、そこで、知ったところ。
そこで、初めて、「おそ松くん」「天才バカボン」の漫画の単行本を、数冊、買ってもらい、読んだんですよね。
面白い、面白くないというよりも「なるほど、こういう漫画だったのか」と思った記憶がある。
ちなみに、上の「おそ松くん・ベストセレクション」は、今でも、所有しています。
個人的には、漫画で読むなら「天才バカボン」よりも「おそ松くん」の方が、好きです。
さて、この「おそ松くん」ですが、「六つ子」という発想は、どこから来たのかなと思い、ネットを調べてみると、「一ダースなら安くなる」というアメリカの映画がヒントになったそうですね。
しかし、さすがに、12人も漫画の中で描けないので、半分の、6人に減らしたということ。
しかし、面白いことに、「六つ子」のキャラクター以外は、ほぼ、当時、アシスタントをしていた高井研一郎さんが生み出し、描いていたそうですね。
あの有名な「イヤミ」も、高井さんが生み出し、描いていたということ。
あの「イヤミ」のギャグである「シェー」も、高井さんが考えたものだとか。
もっとも、ネームを入れていたのは、赤塚さん自身だということ。
さて、以前、「おそ松さん」というアニメが、随分と話題になりましたよね。
僕は、見ていないので、どういう内容のものかは、全く、知らない。
ネットで調べて見ると、大人になった「六つ子」たちが主人公だそうですね。
どうも、「六つ子」のみんな、「ニート」だとか。
さて、この「おそ松さん」が、話題になった当時、テレ朝の「ミュージックステーション」を見ていた時に、「乃木坂46」が出ていて、その曲紹介の前、司会のタモリさんと会話をする時間がある訳ですが、当時、「乃木坂46」の中心メンバーだった生駒さんが、タモリさんに、「『おそ松さん』、知っていますか」と聞いたんですよね。
タモリさんは、「知ってるよ」と、ニコニコと答えたのですが、生駒さんは、更に、「『おそ松くん』じゃないですよ。『おそ松さん』ですよ」と聞き返し、それにもまた、タモリさんは「知ってる、知ってる」と、答えたんですよね。
確か、そこで時間になって、「乃木坂46」は、歌いに移動をした訳ですが、その後、ネットでは、この出来事について「タモリさんと赤塚不二夫の関係を知らないのか」と、生駒さんが、非難をされたんですよね。
そして、生駒さんは、その後、ブログか何かで、「タモリさんと赤塚不二夫さんの関係は、もちろん、知っています。あれは、漫画の『おそ松くん』ではなく、アニメの『おそ松さん』を知っていますかと聞いたんです」と、弁明をしたという話だったと記憶しています。
赤塚不二夫さんは、トキワ荘のメンバーの中で、なかなか、漫画家として芽が出ず、一度、漫画家を辞める決心をし、リーダー格だった寺田ヒロオさんのところに、「漫画家、やめることにしました」と挨拶に行ったんですよね。
しかし、寺田さんは「もう少し、頑張れ」と、赤塚さんを励まし、「生活費はあるのか」と、当面の生活費を、貸してやることになる。
赤塚さんが、本来、描きたかったギャグ漫画で、人気漫画家になるのは、その直後のこと。
ちなみに、赤塚さんなどの回想録では、この出来事はトキワ荘でのことように書かれていますが、実際、この時、すでに、寺田さんは、トキワ荘を出ていたようです。
つまり、赤塚さんは、寺田さんの新しい下宿先に行き、その話をしたということになるのでしょう。
もし、寺田さんの気遣いが無ければ、赤塚さんは、漫画家を諦めて、別の仕事をしていたのかも知れない。
「おそ松くん」も「天才バカボン」も、存在をしていなかったかも知れないと思うと、漫画の歴史は、変わっていたかも。
当然、タモリさんも、芸能人になっていなかったでしょう。
しかし、皮肉にも、赤塚さんではなく、寺田さんの方が、その後、漫画を描くのを辞めることになる。
とても、残念。