最近、見たドラマの中で、登場人物の女性のセリフに、

 

「自分の、最も、古い記憶は、3歳の時のもので、自分は、その時から、何も変わっていない気がする」

 

というものがありました。

 

このセリフ、僕も、とても共感をするところで、僕もまた、一番、古い記憶が、恐らく、3歳くらいの時のもの。

そして、その頃の僕と、今の僕とでは、内面は、何も変わっていない気がする。

もっとも、僕の場合、訳あって、高校を卒業した頃から、人付き合いというものを、全く、しなくなってしまった。

つまり、普通の人が、年を取ると共に、当たり前に経験することを、僕は、ほぼ、何も、経験をしていない訳で、人間的に、何も、成長をしていないのは、仕方がない話。

昔は、「結婚をして、子供を持って、一人前」などと言われていたようですが、今、そのようなことを、公の場所で言うと、周囲から非難をされることでしょう。

しかし、結婚をする、子供を持つという経験をすることで、人間が成長をするというのも、多くの人が、経験をすることなのだろうと思います。

もっとも、どのような経験をしようが、全く、成長をしない人も、居ない訳では無いでしょうが。

 

さて、藤子F不二雄さんのSF短編短編に「劇画・オバQ」というものがあります。

タイトルの通り、絵柄は、藤子F不二雄さんの漫画には珍しく、劇画調に描かれている。

恐らく、それには、「リアル」さを強調したいという意図があったのかと思うところ。

 

 

 

 

大原家に居候をしていたQ太郎は、「新オバケのQ太郎」の最終回で、オバケの国に、勉強のために帰るのですが、「劇画・オバQ」の世界は、その15年後。

 

Q太郎は、正太に会うために、人間社会に戻って来る。

オバケの寿命は長く、Q太郎は、以前、別れた時から、精神的に、ほぼ、年を取っていない。

しかし、正太は、成長し、すでに、社会人となり、結婚もしていた。

 

正太とQ太郎は、再会に喜ぶ。

正太は、Q太郎を、家に連れて行くが、正太の妻は、Q太郎を歓迎しない。

 

そして、正太は、かつての仲間たちに声をかけ、Q太郎を交えて、飲み会を開いた。

そこに集まったのは、ゴジラ、キザくん、ハカセ、ヨッちゃん。

思い出話に、花が咲くが、正太たちは、自分たちが、「大人」になったことを、しみじみと語る。

しかし、そこで、ハカセが、勢いよく、語り出す。

実は、ハカセは、以前から、正太と共に、新たな事業を始めようと誘っていたのだが、正太は、それを渋っていたのだった。

 

「大人が、夢を見てはいけないのか。挑戦をしてはいけないのか」

 

ハカセの勢いに押され、Q太郎も、それに乗り、酒に酔ったこともあり、正太を始め、ゴジラ、キザくんたちも、それに同意し、正太は、ハカセの誘いに乗ることに決める。

 

翌朝、目覚めた正太は、Q太郎に急かされ、昨夜の約束を、妻に話すことにする。

が、その話をしようとした時、正太の妻は、「妊娠した」と、正太に告げる。

 

「Qちゃん、聞いたか。僕に、子供が出来るんだ」

 

と、正太は、大喜び。張り切って、仕事に出かけて行く。

 

その様子を見て、Q太郎は、家を出た。

 

「正ちゃんに、子供が……。もう、正ちゃんは、子供じゃないんだな……」

 

と、Q太郎は、黙って、オバケの国に帰って行く。

 

大人になる、親になるって、どういう感覚なのでしょう。

未だに、よく分からないところです。