つげ義春の漫画「海辺の叙景」。
個人的に、最も、好きな漫画の一つ。
この漫画。
コマ割りの、一つ、一つ。
そして、そのコマの流れ。
そして、そのコマの中に描かれた、絵の構図。
登場人物は、海辺で出会った、若い男女。
互いに、好意を持っているのでしょうが、互いに、その本心を、直接に、言葉に表さない。
しかし、その言動の端々に、読者は、それを、感じることが出来る。
映画や小説が、時に、「芸術」作品として評価をされるように、この漫画もまた、「芸術」作品として、評価をしても良いのではないかと思うところ。
この短編漫画。
物語の「筋」のようなものは、特に、無い。
昔、何かの本で、読んだ記憶があるのですが、芥川龍之介について。
芥川龍之介の小説「羅生門」。
この「羅生門」、そして、「鼻」「芋粥」などの小説は、「今昔物語」などに題材を取り、如何にも、ちゃんとした「物語」となっている。
しかし、当時、この、如何にも「物語」然とした小説は、あまり「文学」として、評価をされなかったようですね。
では、当時、どのような作品が「文学」として評価をされていたのかと言うと、いわゆる「私小説」のようなもの。
この「私小説」には、これといって物語の「筋」のようなものは、無いのが普通。
当初、芥川は、この世間の風潮に、反発をしていたよう。
しかし、晩年(といっても、芥川は、35歳の若さで自殺をしてしまう訳ですが)の芥川は、この「筋」の無い小説を、書いて行くことになる。
個人的に、芥川龍之介の作品の中では、「歯車」「蜃気楼」の二つが、最も、好きなのですが、どちれも、晩年に書かれた、筋の無い小説。
どちらも、神経の研ぎ澄まされた、張り詰めたような感覚の文章が好きで、やはり、明確な物語が無いというのも、重要な点なのではないかと感じるところ。
この、芥川龍之介の「蜃気楼」と、つげ義春の「海辺の叙景」は、何だか、雰囲気が似ているような気がしています。
個人的に。