つげ義春の漫画「ねじ式」は、恐らく、最も、有名な「問題作」と、言うことになるのでしょう。

とても、不思議な漫画で、様々な人に影響を与え、様々な解釈を生み、様々な人が、パロディにしている。

 

 

 

内容は、まさに、「夢」を見ているようなもの。

人は「夢」を見ている時には、それが、どれほど、荒唐無稽なものでも、見ている間は、その「夢」を、現実のように感じている。

この「ねじ式」は、まさに、読者を、そのような感覚に導く漫画です。

 

主人公は、海で泳いでいる時に「メメクラゲ」に左腕をかまれ、血管が切断されてしまいます。

海から上がった主人公は、その切断をされた血管を、反対の右の手で繋いだ状態で、町の中を、医者を探して、さまよい歩く。

 

死への恐怖に怯えながら、主人公は、奇妙な風景の町の中をさまよい歩くのですが、町の人たちは、主人公の必死な思いと訴えを、まともに取り合おうとはしない。

 

主人公は、走って来た機関車に乗り込むことにする。

しかし、その機関車は、前に進まず、後戻りをして、元の町に戻る。

仕方なく、また、主人公は、町で、医者を探して歩くのですが、そこにあるのは目医者ばかり。

そして、出会った老婆に、医者の場所を聞くと、老婆は、主人公の望んだ、女医の居る場所を教えてくれる。

そして、主人公は、その、金太郎飴を作っている老婆が、生まれる前の、自分の母親だと気がつくが、老婆は、詳しいことは話さない。

 

主人公は、老婆に教えてもらったビルの中で、女医に出会う。

しかし、そこは、産婦人科だった。

が、主人公は、無理矢理、女医に手術を頼み、麻酔なしで、まるで、性行為のような奇妙な手術が行われる。

 

そして、手術は成功。

主人公の切断された血管は、水道の蛇口のようなもので繋げられていた。

そして、主人公は、モーターボートに乗って、海に戻る。

それから、主人公の左腕が、しびれるようになったのです。

と、言う物語。

 

まさに、これは、「夢」で見るような世界。

そして、この「夢」の中のような世界が、とても、リアルに感じられる。

 

実際に、この「ねじ式」は、つげ義春さんが見た「夢」をモチーフに描かれているということのようですが、もちろん、「夢」を、そのまま、漫画にした訳ではない。

そこには、「天才」と呼ばれる、つげ義春さんのテクニックが詰め込まれている訳で、それが、この、一見、荒唐無稽な内容の漫画に、リアリティを感じる一因でしょう。

 

さて、一見、この漫画のような、「意味不明」なものは、第三者によって、様々な解釈が行われることになる。

例えば、作者の「深層心理」を解明しようとしたり、作者が、その、一見、「意味不明」な物語の中に込めた「真の意味」を、探ってみようとしたり。

 

これは、まさに「夢占い」や「夢診断」と同じ。

人間が、実際に、見る「夢」の内容に、どのような意味があるのか。

人は、それを、知りたがる。

 

さて、つげ義春さんが、この「ねじ式」で、何を描こうとしたのか。

それは、本人にしか分からないこと。

第三者の解釈や、意見などは気にせず、自分なりに、この「ねじ式」を楽しめば良いのではないでしょうか。

多くの人が、この「ねじ式」に注目し、多くの人が影響を受けたということは、それだけ、魅力的な作品であることには違いない。

 

さて、「夢」をモチーフに漫画を描いたのは、この、つげ義春の「ねじ式」が、最初だということ。

その後、つげ義春さんは、「夢」を元にした漫画を、いくつか描いていますが、その完成度は、どれも「ねじ式」には及ばない。

 

つげ義春さんは、あのトキワ荘にも、一時、出入りをしていたということ。

しかし、寺田ヒロオさん、藤子不二雄の二人とは、全く、交流はなく、ほぼ、口をきいたことも無かったようですね。

 

つげ義春さんが、仲良く親交をしていたのは、赤塚不二夫さん。

その関係で、石ノ森章太郎さんとも、少し、話をしたことがあったということのよう。

 

つげ義春さんは、漫画家を目指すにあたって、当時、トキワ荘に住んでいた手塚治虫さんを訪ねたことがあるそうです。

その時、たまたま、手塚さんは、部屋に居て、まだ、漫画家になる前の、つげ義春さんを部屋に入れ、漫画家についての質問に、丁寧に答えたそうです。

 

手塚治虫さんが、若手漫画家、漫画家になる前の漫画家を目指す若者に、とても目をかけ、丁寧に接していたことは、色々と、その関連本を読んでいると、よく分かります。

やはり、手塚治虫さんは、漫画界全体の発展を考えて、行動していたということなのでしょう。

偉大な人です。