大河ドラマ「光る君へ」を見るにあたって、やはり、今後、登場するであろう「源氏物語」の内容を知らない訳には行かないだろうと思い、この本を、読了。

 

 

この本。

著者が、冒頭で書いている通り、この本は、「源氏物語」の「現代語訳」や「解説書」という訳ではありません。

この本は、「『源氏物語』とは、どのような物語なのか。その雰囲気を知ってもらうための本」ということ。

つまり、「源氏物語」とは、どのような物語なのかという「イメージ」を持ってもらうための本です。

 

「源氏物語」は、全部で、「54帖」の物語から成り立つ、大長編物語です。

 

そして、上の本には、この「54帖」、それぞれの、短くまとめられた「あらすじ」と、著者による、簡単な、注釈、コラムのようなものが、それぞれに、付けられています。

この、短い「あらずじ」だけでも、かなりの分量。

全編を読むには、相当、根気がいることだろうと思います。

 

感想を、一言で言えば「面白い」ということ。

思っていた以上に、面白い。

やはり、千年もの間、読み継がれて来たのには、理由がある。

 

膨大な数の登場人物は、それぞれに、とても、個性的。

そして、様々なタイプの女性と、光源氏との、様々な恋愛模様が描かれる。

 

上の本を読んで、気がついたのは、登場人物に「固有名詞」が出て来ないということ。

登場人物の名前は、全て、通称、愛称で書かれている。

それは、主人公の「光源氏」にしても、例外ではない。

この「光源氏」の本名も、「源氏物語」の中には、登場しないそう。

 

これは、やはり、かつて、日本の社会では、人の「名前」を、公の場で呼ぶということがタブーだったからだと想像します。

恐らく、人の本名など、ごく近しい、身内の人しか知らなかったのではないでしょうか。

だから、「源氏物語」の登場人物の本名が登場しなくても、それは、当時の人には、自然なことだったのでしょう。

 

そして、あまりにも、登場人物が多く、関係性が複雑なので、なかなか、理解をするのが難しい。

本編を読むには、整理をしながら読む必要があるのではないでしょうかね。

 

そして、個人的に意外だったのは、光源氏は、途中で、退場するんですよね。

第41帖の「雲隠」で、光源氏が、出家をし、その後、亡くなるということになったようですが、この「雲隠」は、タイトルだけで、本文が無いということ。

ウィキペディアを見ると、この「雲隠」は、最初から本文は無かったという説と、本文はあったのだが、その後、無くなってしまったという説があるそう。

 

そして、光源氏の亡き後、光源氏の次男「薫」(本当は、柏木の子)、そして、光源氏の娘「明石の姫君」と天皇との間の第三皇子「匂宮」の二人を主人公とする物語が始まる。

この「薫」「匂宮」の物語は、それ以前の「光源氏」を主人公にした物語とは、大きく、雰囲気が異なります。

 

本当に、全てを、紫式部、一人で書いたのか。

もし、書いたのだとすれば、光源氏の物語と、その後の物語で、どういった心境の変化があったのか。

今後、また、「源氏物語」の研究に関する本と読んでみなければ、と、思っているところです。

 

さて、以下、個人的な話。

 

なぜ、天皇の子である「光源氏」は、親王としての立場ではなく、臣籍降下をしたのか。

これは、ずっと、疑問に思っていましたが、朝鮮半島から来た「人相」を見る人が、光源氏を見て「この先、天皇になれば、良くないことが起こる。しかし、臣下として出世をすれば、良いことが起こる」と予言をした結果、臣籍降下をすることになったということ。

 

ちなみに、この「源氏物語」は、なぜ「源氏」が主人公なのか。

 

藤原氏が全盛期の時に、「源氏」を主人公にした物語を作るのは、おかしいと、色々と考察をする人が居るようですが、個人的には、あまり意味の無いことだろうと思います。

元々、この「源氏物語」は、社会に広く、読ませるために書かれたものではない。

当初は、紫式部が、個人的に書き、周囲の人に見せていただけのようで、紫式部の作家としての意図としては、主人公が「天皇の子」であるという「貴種」であることが重要で、更に、「天皇の子」のままよりも、臣籍降下をした方が、主人公が、自由に活動出来るということで、臣籍降下をさせ、当時、一般的だった「源氏」にしたということなのではないでしょうかね。

つまり、「源氏」であることに、深い意味はない。

 

そして、そもそも、当時、「藤原氏」と「源氏」が、一族として対立をしていた訳ではない。

それは、藤原道長の妻の一人が「源氏」であり、側近にも「源氏」が居たことを見れば分かる。

また、藤原道長のところに「源氏物語」の評判が届いたころ、すでに「源氏物語」は大人気で、そのため、道長は、紫式部を彰子の女房に迎える訳ですが、そこで「源氏物語」を「藤原氏物語」に書き直せなどという馬鹿なことは言わないでしょう。

そんなことを言えば、周囲の悪評を買うことは、目に見えている。

 

そして、個人的に、最も、興味があったのは「紫の上」のこと。

 

紫式部は、宮中では「藤式部」と呼ばれていたようですが、後に、「紫式部」という名前で知られるようになったのは、この「紫の上」から取ったものでしょう。

また、この「源氏物語」は、様々な呼び方がされていたようで、その中に「紫の物語」などと、「紫の上」をタイトルにして呼ぶ、呼び方もあったよう。

 

それだけ、多彩な女性の登場する「源氏物語」の中で、「紫の上」は、最も、重要な女性だったと言える。

なぜ、「紫の上」が、それほど、「源氏物語」の中で、重要な地位を占めているのか。

 

色々と、思うところはありますが、これは、ぜひ、興味のある人は「源氏物語」を読んでみると良いでしょう。

 

しかし、それにしても、よくこのような物語を、千年も前に書くことが出来たものだと思います。

まさに、紫式部は、天才作家だったということ。

 

紫式部のような天才的才能を持つ人は、恐らく、長い歴史の中に、何人も居たのでしょうが、紫式部だけが、このような素晴らしい物語を書き上げることが出来たというのは、まさに「天の時、地の利、時の運」が、見事に合致したということなのでしょうね。

なかなか、難しいことです。