良寛は、「乞食」行を、生涯、続けました。

つまり、「食」を「乞う」ことで、生活をしていたということ。

そして、良寛は、必要以上の物を、持とうとしなかった。

托鉢によって、喜捨されたものも、余分なものは、鳥獣や、より、貧しい人に与えていたという話。

 

そんな良寛自身が、他の人から、「乞食」をされることがあったようです。

しかし、良寛は、他人に与えるほどの余分なものを持っている訳ではない。

 

 

ある時、良寛のところに、年明け早々に、乞食に来た女性が居たそうです。

その女性には、夫が居たのですが、他の地方に出稼ぎに出たまま、行方不明になってしまった。

夫は「穴掘り」の仕事をしていたそうです。

そして、その女性は、小さな子供を抱え、夫からの仕送りは、当然、無く、生活に困って、正月早々、村々を乞食をしながら歩いている中で、良寛のところにも来たという経緯のよう。

 

この話は、他の本にも紹介をされていたので、知っていました。

この時、良寛は、支援者の一人である解良叔門に宛てて、女性の事情と、自分は、貧しい僧なので、何も、与えてやることが出来ないから、何か、与えてやってくれないか、と、言う手紙を持たせ、解良家に向かわせたよう。

その手紙が、今も、残っている。

そして、その後、恐らく、その女性が、多くの物を貰ったことに対して、良寛が、解良叔門に、お礼を述べた手紙も残っているそう。

 

また、この本で、初めて読んだのですが、良寛の住む五合庵に、旧暦の十月、簔だけを身に付けた男が、物乞いに来たそう。

旧暦の十月と言えば、冬で、その日の夜は、寒い風が吹き荒れる嵐だったということですが、男は、裸に簔だけを身につけていたということ。

そして、良寛は、何も、与えるものがないので、自分が着ていた古着を脱いで、その男に与えたそうです。

その時に読んだ和歌が、残っている。

当然、良寛は、その夜、何も着るものが無いまま、一夜を過ごしたはず。

 

この「物を乞う」ということ。

良寛は、僧としての修業として、この「乞食」を行っていた。

しかし、他の多くの人は、自分自身の力では、必要なものを得ることが出来ないので、仕方なく、他人に「物を乞う」という行為をすることになる。

 

これは、かなり、辛いことでしょうね。

自分の生活に必要なものを、自分で用意することが出来ない。

そして、見ず知らずの他人に、頭を下げ、物を乞わなければならない。

見下され、馬鹿にされ、邪険にされることも多いでしょう。

むしろ、世間の目は、そういう状況の方が、普通ということになるはず。

 

昔は、路上で「物を乞う」人、見ず知らずの他人の家を回って「物を乞う」人は、結構、居たのではないでしょうか。

戦後間もなくはもちろん、昭和30年代くらいまでは、そういう人は、多く見かけるものだったのかも。

それは、藤子不二雄の「オバケのQ太郎」や、川崎のぼるの「いなかっぺ大将」という漫画の中にも、そういうキャラクターが登場することで、想像することが出来る。

 

あの全国を放浪したことで有名な画家、山下清さんも、働いてお金を得ることもあれば、道行く人に「物乞い」をすることも多かったようですね。

 

 

以前、読んだ、この本に書かれていましたが、山下清さんは、「物乞い」をする時には、口から出任せの身の上話を、かなり雄弁に語り、執拗に、相手に食い下がっていたそうです。

 

今も、生活に困窮をしている人、また、ホームレスの人は、かなり社会に存在をしているのだろうと思います。

しかし、見ず知らずの人に対して「物を乞う」という行為をする人は、まず、居ないのではないかと想像するところ。

恐らく、今、そういう行為をすれば、すぐに、警察に通報され、問題になるのではないですかね。

 

実は、僕は、子供の頃に、この「物乞い」をされた経験があります。

僕が、小学校の低学年の頃だった気がするので、昭和50年代の話。

 

僕が、家に、一人で居た時に、家を訪ねて来た、一人の見知らぬ男が居た。

恐らく、ホームレスなのだろうということが、一目で分かる、男性だった。

言葉は、はっきりと聞き取れなかったのですが、僕が聞いて、解釈をしたところでは、「十円、二十円、恵んでもらえませんか」と言ったはず。

小さな子供だった僕は、その男性に、恐怖と不安を感じた。

「十円?」

と、聞き返すと、男性が頷いたので、僕は、自分の部屋から、十円を持ってきた。

すると、玄関の外に居た男性が、中に入って来て、小さな厚紙を折りたたんだようなものを、指先につまんで、僕の方に差し出した。

とても、汚れた手だったと記憶しています。

その紙の上に、十円を載せてくれという意味なのだろうと思い、僕が、その紙の上に十円を載せると、男性は、頭を下げて、玄関を出て行った。

 

直接、僕が差し出した十円玉に触れようとしなかったのは、その男性の、僕に対する配慮でしょう。

そして、僕の家に来たということは、家々を歩き、そうやって「物乞い」をしていたのだろうと思います。

 

辛いでしょうね。

家の人に罵倒され、追い出されることもあったでしょう。

 

今、仕事を失い、家を失い、困窮をしている人たちは、どうやって生活をしているのか。

色々と、思うところがあります。