夏目漱石の小説「こころ」。
初めて読んだ時のインパクトは、これまで読んだ小説の中で、最も、大きかった。
この「こころ」は、「上」「中」「下」の三部に分かれていますが、「上」と「中」は、個人的に、あまり関心は無いし、あまり、よく覚えていない。
やはり、強く、印象に残っているのは、「下」。
つまり、「先生の遺書」です。
この小説の中で、「先生」と呼ばれる人物。
小説の主人公は「私」ですが、物語の中心になるのは、この「私」が「先生」と呼ぶ人物、と、言うことになるのでしょう。
この「先生」の過去に、何があったのか。
それが、「私」に送られて来た「先生」の遺書で、明らかになる。
簡単に言えば、「先生」と、友人の「K」は、同じ女性に恋をした。
そして、「先生」は、姑息な手段で、「K」から、その女性を奪い取る。
「先生」という人物の姑息な性格と、「K」という人物の、潔い性格が、見事に、対比されている。
そして、極めつけが、「先生」が、「K」が、部屋で自殺をしているところを発見する場面。
親友が、自殺をした。
しかも、その責任は、自分にある。
自殺をした親友を目の当たりにして、人は、どのような行動を取るのか。
そのような時でも、まだ、「先生」は、自分の姑息な性格を捨て去ることが出来なかった。
机の上に、「K」が書き残したと思われる手紙を見つけ、「先生」は、何よりも、まず先に、その手紙を手にした。
「K」の自殺の原因が、自分にあること。
そして、自分が、姑息な手段を使って、「K」から女性を奪い取ったことを、その手紙に書き残しているのではないか。
そして、その手紙を読んで、他の人たちが、自分の姑息さを知るのではないか。
特に、自分が、「K」から奪い取った「お嬢さん」、そして、その母親に、そのことを知られてしまうのではないか。
手紙の内容を確認した「先生」は、「K」が、そのようなことは、一言も、書き残していなかったことに安堵する。
「K」の潔さ、そして、「先生」の「心」の、惨めさが、よく現れている。
それにしても、個人的には、小説を読んで、ここまでインパクトを感じた場面は、他に、無い。
何で、この「こころ」の、この場面には、これほどのインパクトを感じるのか。
夏目漱石は、日本の文学を代表する文豪ですが、その小説は、他の文豪の文学作品に比べると、かなり、読みやすく、内容も、分かりやすいような気がする。
やはり、小説は、読みやすく、分かりやすいものでないと、読んだ時に、「インパクト」を感じることも無いのだろうと思います。
しかし、得てして、読みやすく、分かりやすい小説は「文学」としては評価されない傾向がある。
なかなか、難しいですね。