先日、「チャットGPT」で有名になった「オープンAI」が、新しい「生成AI」のサービスを始めるという報道があり、続いて、「グーグル」もまた、新たな「生成AI」のサービスを始まるという報道も。
今、この「生成AI」の開発競争が、様々な会社で、激化をしているよう。
さて、「チャットGPT」について特集された、この二冊の雑誌「ニュートン」を読みました。
もっとも、僕の頭脳レベルでは、上手く、理解できないところも、多々、ある。
以下、書いていることに、間違いがあるかも知れない。
この20年ほどで、「AI」が、急速に、進化をしましたよね。
個人的には、将棋の名人が、「AI」に敗れたこと。
そして、囲碁の世界トップレベルの棋士が、「AI」に敗れたことが、衝撃でした。
そして、当時、この本を読みました。
将棋、そして、囲碁が、トップレベルのプレーヤーに勝つのは、まだ、遙かに先だと思われていた。
しかし、もはや、人間は、「AI」に勝てなくなってしまった。
なぜ、「AI」が、これほど急速に進化をすることが出来たのか。
それには、「深層学習」と「機械学習」の二つに、原因があるようです。
まず、「深層学習」とは、人間の「脳」のシステムを参考にして作られたそうです。
多くのランダムな情報を、段階を経て、絞り込んで行くことで、正解を導き出すことが出来る。
つまり、「階層」を、段階的に、深化させて行き、絞り込む。
だから、「深層学習」ということになる。
そして、「機会学習」とは、「AI」自身が、自分自身で、「学習」をして行くということ。
昔、将棋や囲碁などは、プログラマーが、「良い手」「悪い手」を、それぞれ、コンピューターに教えることで、プログラムを作っていたようです。
だから、「AI」が、人間に勝つのは、遙かに先のことだと思われていた。
しかし、「機械学習」では、「AI」が、自ら、「良い手」「悪い手」を学習して行くことになる。
コンピューターは、電源が入っている限り、とんでもない高速で、延々と学習を続けることが出来る。
この「機械学習」に「深層学習」を組み合わせれば、「AI」は、勝手に、進化をして行くということ。
人間のトッププレーヤーを破った「AI」は「アルファ碁」と呼ばれるプログラムです。
この「アルファ碁」は、まず、囲碁のルールを覚えさせ、次に、取りあえず、ランダムに碁を打ち続ける。
ひたすら、ランダムに、碁を打ち続けることで、次第に、「良い手」「悪い手」を選別し、自ら「良い手」「悪い手」を学習。
超高速で、延々と、これを繰り返せば、自然に、碁が強くなるということ。
つまり、「深層学習」と「機械学習」の組み合わせです。
さて、将棋、そして、囲碁が、トップ棋士を破った衝撃に続いて、登場をしたのが「チャットGPT」ということになる。
この「チャットGPT」の衝撃は、まさに、世界を変えたと言えるのではないでしょうかね。
何か、質問をすれば、実に、自然な文章で、答えを出してくれる。
もっとも、その答えは、必ずしも、正確なものとは限らないので、注意が必要ということにもなりますが。
しかし、この「質問」に対して、実に「自然な文章」で返答をしてくれるというのは、かなり、衝撃でした。
僕も、実際に、使ってみて、驚きました。
なぜ、「チャットGPT」は、「自然の文章」を書くことが出来るのか。
そして、なぜ、多くの場合、「正しい答え」を導き出すことが出来るのか。
昔の「AI」が、「文章」を書く場合、基本的に「直前の単語」から、連想をされる単語を導き出すものだったようですね。
つまり、「私は」という単語があれば、この「私が」に続く単語を「AI」は探すことになる。
しかし、「チャットGPT」の場合、「直前の単語」から、それに続く単語を探している訳ではない。
この「チャットGPT」では、「単語」の一つ、一つを、多くの「ベクトル」に変換し、この「ベクトル」の示す「距離」を、適切に配置することによって、「文章」全体のバランスを取る形で、文章を書いているそうです。
つまり、「チャットGPT」は、文章の「全体のバランス」を考えて、文章を書いているということ。
まさに、人間が文章を書く時と同じです。
この「アルゴリズム」自体は、「グーグル」が開発をした「トランスフォーム」というアルゴリズムを使っているそうです。
そして、この「トランスフォーム」は、元々は、「翻訳」をするために開発をされたアルゴリズズムだったよう。
そして、「チャットGPT」は、ネットの中に存在をする膨大な情報を収集し、その中から、自ら問題を製作し、それに、回答し、答え合わせをする。
これを、延々と、高速で繰り返すことで、「文章を書く」「答えを出す」ことの精度を上げているそうです。
つまり、「機械学習」です。
さて、近年の急速な「チャットGPT」を始めとする「生成AI」の成長は、多くの問題も抱えている。
一つは、やはり、これまで、人間がしていた仕事の多くが、「生成AI」に取って代わられる可能性があるということ。
実際に、コピーライターや、イラストレーターの仕事が、「生成AI」に奪われ始めている。
一つは、ネット上にある情報を、「生成AI」が、勝手に収集し、公開してしまうということ。
つまり、「著作権」の問題。
これには、逆の問題もある。
それは、「生成AI」の作ったものを、それを見た人が、「自分のものだ」と主張をするという問題。
そして、個人的には、この「生成AI」によって、人間の「感性」や「創造力」が奪われてしまうのではないかという懸念もある。
実際に、将棋、囲碁などでは、棋士の「感性」や「創造力」は、大きく、減っているのではないでしょうかね。
作家や、画家も、「生成AI」に頼ることによって、「感性」も「創造力」も、必要が無くなってしまうことになるのではないでしょうか。
さて、雑誌「ニュートン」の今月号の、第2特集は「科学と倫理」というもの。
科学の進歩は、人間社会に、大きな影響を及ぼす。
この「科学の進歩」によって生まれた技術は、人間社会の「倫理」に照らし合わせると、どういう判断をするべきなのか、と、言う話。
「生成AI」に関する話としては、「AIの起した死亡事故は、誰が責任を取るのか」という問題と、「暴走の危険をはらむ科学技術の研究、利用は、禁止するべきなのか」という問題の二つ。
今、「生成AI」は、人間のレベルを、あらゆる面で凌駕しつつある訳で、今後、もしかすると、人間の意図しない危害や不利益を、人間に加える可能性も、無い訳でもない。
そして、もし、「生成AI」が、自ら、自分のプログラムを書き換えることが出来るようになれば、もはや、人間の手には負えなくなるかも知れない。
果たして、今後、「生成AI」は、どうなって行くのでしょう。
何だか、怖い気もする。