昭和20年6月29日、午前2時43分。

アメリカ軍のB29、138機による岡山市への空襲が始まりました。

小豆島南端を通り、旭川河口から北上をしたB29の編隊は、約9万5千発の焼夷弾を岡山市街地に投下。

午前4時7分まで空襲は続き、1737人の人が死亡。

この時、岡山監視隊本部に、B29の編隊が西に向かって飛行しているという情報が入ったのは、空襲が始まる、わずか、3分前のこと。

そのため、空襲警報も無く、市民は、突然の空襲に晒されたことになります。

約12万人の人が被害を受け、死者は、1737人、負傷者は、6026人。

その中には、作家の永井荷風や、アニメ「火垂るの墓」を制作した高畑勲監督、トキワ荘メンバーの一人だった漫画家の森安なおや、俳優の八名信夫さんも居ました。

 

この岡山空襲の日、一機のB29が、エンジントラブルを起こし、児島半島にある甲浦村宮浦の山中に墜落をしました。

今日は、その現場に、行ってみました。

 

この「貝殻山登山口」から、山道を登ります。

 

少し歩くと、もう一つ、看板が。

ここから先が山道です。

 

山道を歩くこと、約30分。

年齢の上、運動不足の身としては、かなりキツい。

ここが、B29墜落現場の遠景になります。

 

ようやく見つけた、道しるべ。

「米兵の墓標」と書かれています。

矢印に沿って、左の道へ。

 

到着です。

 

しばらく歩くと、右手に、コンクリート製と思われる十字架がありました。

ここにも「米兵の墓標」と書かれた小さな看板があります。

お花と、ジュースの缶、お賽銭が少し、置かれていました。

 

 

向きを変えて。

 

道を挟んで、十字架の正面に、このような小さな「郵便受け」がありました。

中には、この米兵の墓標を紹介した新聞記事のコピーが入れられていました。

 

2001年8月15日の新聞記事のコピーです。

 

この新聞記事を読んでみたのですが、かなり、問題があるようです。

 

新聞記事によれは、昭和20年6月29日、一機のB29が、この山の斜面に墜落。

現場に駆けつけると、一面は火の海で、B29の機体の残骸が、散乱していたということ。

乗組員の遺体は、木の箱に入れ、丁寧に葬ったそうです。

そして、終戦後のアメリカ軍が調査のために現場に来て、遺体を丁寧に葬ったことにお礼を言い、埋葬されていた遺体を持ち帰ったということ。

 

しかし、どうも、史実としては、こういう経緯ではなかったようですね。

 

僕が、ここに、岡山空襲のために飛来をしたB29の一機が墜落をしたということを知ったのは、恐らく、もう10年くらい前に放送された何かのテレビ番組の特集だったと思います。

その時に、当時のことを知る人が、インタビューに答えていたのですが、僕の記憶によると、当時、B29が近くに墜落したということを知り、住民たちは、竹槍などで武装をし、乗組員の生き残りが居れば、殺害をするつもりだったそうです。

当然、遺体は、丁寧に葬られた訳ではないでしょう。

しかし、終戦を迎え、アメリカ軍に日本が占領された時、もし、アメリカ軍が、現地調査に来た時に、問題があったら困るということで、遺体を丁寧に埋葬し直し、十字架も現地に建てたという話だったと思います。

ちなみに、当時は、木製の十字架だったよう。

 

太平洋戦争末期、日本の上空には、多くのB29が飛来し、各地で、無差別爆撃を行っていた。

また、援護に来た戦闘機なども、ついでに、機銃掃射をして、多くの住民を殺害している。

彼らは、何らかの機体トラブル、または、日本軍によって撃墜されることもある訳で、日本の領内に、不時着、または、パラシュートで落下をし、一命を取り留めた場合、どうなるのか。

多くが、現地の住民たちによって襲われ、殺害されたようですね。

日本人としては、自分の住む町を空襲で焼き尽くし、大切な人を殺害されたりしているのですがから、当然の感情とも言える。

そのため、一命を取り留めたアメリカ軍機の搭乗員は、出来るだけ早く、憲兵に捕まるように努めたそうです。

憲兵に捕まれば、命が助かる可能性が高いということ。

つまり、甲浦の人たちが、特別、残酷だったという訳ではない。

 

ちなみに、調査による記録です。

 

墜落をしたのは、B29、機体番号44-61573。

第58航空団468爆撃軍所属。

エンジンから火を噴きながら、東から西へ、低空飛行の末、宮浦上空で失速。

金上池の北側の山林に墜落し、炎上。

機長のメルビン・モーリス中尉、以下、乗員11人、全員死亡。

遺体は、現場周辺に散らばり、判別出来ない状態だったのですが、その一部を集めて埋葬。

終戦後、アメリカ軍対策のため、墓を作って埋葬し直し、近くに十字架を建てた。

 

と、言うことのようです。

 

 

少し、登ったところから、児島湾方面を見下ろす。

 

かつて、ここが、戦場だったということなど、想像出来ませんね。