先日、自衛隊のヘリコプター2機が、夜間の対潜訓練の途中に、衝突、墜落をする事故がありました。

夜間に飛行をするというのは、一体、どういう状況なのでしょう。

視界というものは、ほぼ、効かないのでしょうから、基本的には、計器を見ながら、周囲の状況を判断するのだろうと想像します。

高度、速度、方向。

もちろん、レーダーによって、周囲の状況を把握し、目視で周囲を監視する人も、当然、居るのだろうと思います。

報道によれば、どうも、自機が、他機を衝突をする可能性があるほど接近をした場合、警報が鳴るようなシステムもあるようですが、それは、切られていたということのよう。

対潜訓練ということで、敵潜水艦に電波を察知されないようにということのようですが、と、言うことは、レーダー自体も、切られていたということなのでしょうかね。

だとしたら、完全に、目視だけで、飛行をしていたということなのでしょうか。

 

さて、第二次世界大戦でも、「夜間」に活動をする飛行機は、存在をしていた。

有名なところでは、やはり、日本海軍の夜間戦闘機「月光」でしょう。

 

 

 

 

他にも、ドイツの「メッサーシュミットBf110」。

 

 

 

イギリスの「モスキート」など、有名でしょう。

 

 

 

 

この三機を見ると、どれも、「双発」「複座」であることが分かる。

実は、この三機は、そもそも「夜間戦闘機」という機種として開発をされた機体ではありません。

元々、この「双発」「複座」の戦闘機が開発をされたのは、単発機に比べて、長大な航続距離と、単発機に勝る高速、更に、重武装を期待することが出来たため。

 

「月光」「Bf110」は、元々は、長距離を飛行する爆撃機に追従し、援護をするための戦闘機として開発が始められたものでした。

しかし、思うような高速を発揮することが出来ず、また、空戦性能で、単発機には到底、及ばないため、長距離援護戦闘機としては、失格の烙印を押されてしまいます。

 

しかし、この「双発」「複座」というのは、他にも、様々な使い道があり、一つは長大な航続距離を生かした「偵察機」として、そして、「複座」であることと、強力な武装を持つことを生かした対爆撃機用の「夜間戦闘機」として、活躍をすることになります。

 

なぜ、「複座」が「夜間」の活動に有利なのかと言えば、やはり、暗闇の中、飛行をするには、自機が、どこを、どのように飛行しているのかを把握する必要がある。

それには、周囲との「通信」を綿密に取ることも重要で、それら、補助的な作業を行うために、操縦者以外に、搭乗員が居ることが有利になる。

 

そして、夜間戦闘機には、実用化されたばかりの「レーダー」が搭載されているものもあった。

 

機首にレーダー付けた「Bf110」。

 

ちなみに、こちらは「Me262」の複座型に、レーダーを付けて夜間戦闘機としたものだそうです。機首のレーダーが、分かりますかね。

 

こちらは、機首にレーダーを付けた「月光」です。

 

これら、「レーダー」は、夜間の戦闘に、どれほど役に立ったのか。

その辺りは、勉強不足で、よく分からないところ。

 

さて、日本の夜間戦闘機「月光」ですが、その戦果は、あまり芳しいものではなかったようですね。

やはり、アメリカの爆撃機を迎撃するには、力不足だったよう。

B29が飛行をする高度1万メートルの上空まで上昇することが困難で、しかも、B29よりも速度が遅い。

これでは、なかなか、戦果を挙げることが出来なくても仕方がない。

夜間には、それよりも低空で侵攻してきたようですが、「P51マスタング」が護衛につくようになると、もはや、「月光」、陸軍の「屠龍」といった双発戦闘機では、太刀打ちが出来ないということになる。

 

以前、読んだ何か本では、この「月光」「屠龍」など、夜間に迎撃に上がると、地上からのサーチライトや、爆撃によって炎上する炎の明かりを頼りに、B29を攻撃していたと書かれたものを見た記憶があります。

やはり、目視が頼りだったということなのでしょう。

 

さて、第二次世界大戦中、この夜間戦闘機として使われた「双発戦闘機」ですが、多くが「戦闘機」としては失敗に終わったと言われています。

しかし、例外が、イギリスの「モスキート」と、アメリカの「P38ライトニング」です。

 

イギリスの「モスキート」は、戦闘機としてのみならず、まさに万能機として、様々な活躍をしたそうです。

まさに、傑作戦闘機の一つ。

 

さて、アメリカの「P38ライトニング」。

 

 

 

僕が子供の頃に読んだ戦記物には、この「P38ライトニング」は、日本軍機に「簡単に撃墜された」と書かかれていて、あまり、性能の良い戦闘機ではなかったという印象がありましたが、それは、大きな誤解でした。

「F4Fワイルドキャット」が、零式艦上戦闘機の敵ではなかったと書かれていたのと同じでしょう。

実は、「F4Fワイルドキャット」が、零式艦上戦闘機と互角以上の戦いをしていたのと同じく、「P38ライトニング」は、太平洋戦争で、大活躍をした戦闘機だった。

太平洋戦争で、撃墜数、第一位の40機を撃墜したリチャード・ボングや、第二位の38機を撃墜したトーマス・マクガイアが愛機としていたのが、この「P38ライトニング」でした。

つまり、この「P38ライトニング」に、日本軍機が、カモにされていたということ。

 

ちなみに、あの連合艦隊司令長官、山本五十六の乗っていた一式陸攻を撃墜したのも、この「P38ライトニング」です。

 

ちなみに、ヨーロッパ戦線では、この「P38ライトニング」は、ドイツ軍の戦闘機を相手に空中戦をするには無理があるとして、制空任務からは、外されていたよう。

欧米の戦闘機に比べて、日本軍機の性能の低さが、よく分かる。

 

ちなみに、あの小説「星の王子さま」を書いたサン・テグジュペリは、1944年5月、この「P38ライトニング」に乗って、偵察任務に出たまま、行方不明になったそうです。

そして、2000年、地中海のマルセイユ沖で、このサン・テグジュペリが乗っていた「P38ライトニング」が撃墜され、海底に沈んでいるのが確認されたそう。

この機体自体は、1950年代には、確認されていたそうです。

間違いなく、サン・テグジュペリの搭乗機だと確認されたのが、2000年だそう。

 

ちなみに、このサン・テグジュペリ搭乗機を撃墜したのは、「Fw190」に乗ったホルスト・リッパートという人物。

もっとも、サン・テグジュペリ搭乗機には、銃撃を受けた後が確認できなかったそうで、自殺、または、事故の可能性も考えられるということのようです。

さて、真相は。