「村八分」という言葉を聞いたことがある人は、多いと思います。

この「村八分」とは、「ある特定の集団に所属している人が、その集団から、完全に排除され、時には、実力行使を伴う、嫌がらせを長年にわたって受け続ける」という状況を指す言葉。

この「村八分」に関して、この本を読みました。

 

 

この本。

この本は、「この本を読めば、『村八分』のことがよく分かる」という感じではなく、「『村八分』について研究をしたい人は、この本から始めてください」という感じの内容の本でした。

「村八分」に関する、様々なことを書かれている一方、この本を読んで「村八分」とは、どういうものか、具体的に、よく分かった、と、印象には、ならなかったところ。

 

さて、「村八分」について、世間では、一般的に「十の交際のうち、八つの交際を断つために、『村八分』と呼ばれる」という解釈をしている人が多いのではないでしょうかね。

この「十の交際」とは「冠・婚・葬・建築・火事・病気・水害・旅行・出産・追善」のこと。

この「十の交際」のうち、「火事」と「葬式」を除いた、「八つ」の交際を断つのが「村八分」という解釈。

 

これは、中山太郎という民俗学者が、その著作の中で紹介をした話のようで、これは、完全な間違いです。

もっとも、中山さんも、本の中で「こういう説がある」という話をしているだけで、この説を、正しいと認めている訳では無いそう。

 

元々は村「はちぶ」と、仮名表記がされていたそうで、そのうちに、この「はちぶ」に「八分」の漢字が、当てられるようになったそう。

そして、この「はちぶ」の由来は、はっきりとは、分からないそうです。

 

この「村八分」と同じ意味の「制裁」に関しては、他にも、様々な呼び方があったよう。

松本友記という人の書いた本には、「村八分」のような制裁が、宮崎県で何と呼ばれていたか調べたものがあり、そこでは「仲間はづし」「絶好」「ちょかかるひ」「やくわんめし」「郷中はづし」「のけもの」「はばあき」「一本立ち」「組はづし」「かんなべくらひ」「講中はづし」「うつぱづし」などと呼ばれていたそうです。

つまり、必ずしも、制裁が「村八分」と呼ばれていた訳ではない。

 

歴史の史料の中に残る「村八分」に関する記録から、具体的な例も、多く収録されていましたが、この「村八分」の制裁を受けている人は、「葬式」もまた、「村八分」の対象になっている。

つまり、身内が亡くなっても、誰も、葬式の手伝いはしてくれないし、お悔やみにも来ない。

これを見ても、俗説が誤っているというのが分かる。

 

そして、「村八分」とは、過去のものだと思っている人も多いのかも知れませんが、この本に書かれている具体例の中には、「令和」の時代になって裁判所の判決が出ている例が、一つ、「平成」の時代に判決が出た例が、一つ、紹介されています。

つまり、「村八分」と同じ形態の制裁を受けている人は、今も、この社会の中に存在をしているということ。

 

そして、「村八分」は、古い、昔の、田舎の小さな村での出来事を認識している人も多いのでしょうが、これもまた間違いで、具体例の中には「町」の中で起こった「村八分」の例も紹介されている。

ちなみに、上に挙げた「平成」の時代に判決が出た「村八分」の制裁を受けた人の裁判は、よく名前の知られた、有名な大企業の中で、社員が受けた「村八分」の制裁です。

つまり、「村八分」は、日本の社会の中でも存在し、どこの、どのような組織でも、行われる可能性があるもの、と、言うことになる。

 

著者は、この「村八分」という言葉が、全国に広まり、認識をされたのは、昭和27年静岡県富士郡上野村で起こった事件がきっかけだったのではないかと推測をしています。

この事件は、当時、行われた参議院議員補欠選挙に関するもので、その村では、以前から、組織的に「替え玉投票」というものが行われていたそう。

この「替え玉投票」が、伝統的に、村で行われていたことを、「こんなことが、平然と行われていて、良いのか」と疑問に思った、当時、高校二年生だった石川皐月さんが、朝日新聞に告発の投書。

朝日新聞は、この投書を元にして取材を行い、この「替え玉投票」を記事にすることになる。

そして、この「替え玉投票」は、警察の捜査を受け、関係者は処分されることになるのですが、その直後から、石川さんと、その家族は「村八分」の制裁を受けることになる。

 

そして、この石川さんと、その家族に対する「村八分」の制裁もまた、朝日新聞によって大きく報道されることになる。

この「村八分」事件は、世間で、大きな評判となり、石川さん自身が、自分の「村八分」の体験を手記として出版をしたり、あの新藤兼人監督が映画にしたりしている。

この事件がきっかけで「村八分」という言葉を、誰もが認識をするようになったのではないかとい推測も、納得の行くところ。

 

さて、この「村八分」という制裁が、何をきっかけにして起こるのか。

それは、「村の、大勢の人が納得をしている意見に賛同しない」場合や、「村の内部の『恥』を『外部』に晒した」ということをきっかけにして、起こる場合が多いそうです。

上の挙げた、上野村の「村八分」事件では、石川さんが「替え玉投票」という村の慣例に従わず、朝日新聞という「外部」に、その不正を晒したことをきっかけに「村八分」事件が始まった。

これは、「村八分」の起こる典型でしょう。

 

そして、この「村」は、行政区分での「村」ではなく、「生活共同体」としての「ムラ」の中で行われる。

そのため、今の「村」の区分が、「村八分」の範囲と一致する訳ではないですし、この「ムラ」を、「会社」など、別の組織に言い換えることも出来る。

 

どうも、この「村八分」は、江戸時代に、村における「私的な制裁」として始まったそうですね。

当時は、その村々で、それぞれの「掟」「規則」が決められる場合が多く、それに違反をした人が「村八分」の制裁を受けた。

もっとも、違反のレベルによって、制裁の方法にもレベルがある訳ですが、この「村八分」は「追放」と同じくらい、最高位に厳しい制裁となる。

 

江戸時代に、この「村八分」の制裁を受けた村人は、村に詫びを入れて許してもらう場合もあれば、長年、「村八分」に苦しみ、とうとう、耐えかねた村人が「庄屋」に訴えたり、「公儀」に訴えたりして、解決を求める場合もあったようです。

やはり、身近な人たちから、全ての交際を断たれ、嫌がらせを受け、それが、長年にわたって続くとなれば、当人、家族、そして、その身内の人たちには、耐えられないものでしょう。

そして、この「村八分」の制裁は、明治以降も続き、そして、今でも、日本社会の中に、根強く、残っているということ。

 

僕が、この「村八分」を読んでみようかと思ったきっかけは、少し前に、ある調べ物をしている時に、ネットで、偶然、1993年に、山形県の中学校を起きた「いじめ」に関する事件の情報を見たこと。

この事件は、1993年、山形県新庄市の中学校で、当時、中学一年の生徒が、暴行を受けた末に、体育館のマットに詰め込まれ、窒息死をしてしまったという事件で、大きく報道されたので、事件事態は、覚えていました。

しかし、今回、この事件の情報を、ネットで、改めて見ていて、驚いたのはこの事件、殺害された生徒一人が「いじめ」を受けていた訳ではなく、その生徒の家族、全員が、住んでいる町の中で「村八分」のような状態にあったというのを知ったこと。

つまり、その生徒の家族、全員が、町の人たち全体から「いじめ」を受けていたということになる。

 

この「いじめ」というもの。

今、現在、生きている人にとって、最も、身近な問題で、最も、深刻なものでしょう。

 

「いじめ」もまた、「村八分」の一つと言える。

つまり、ある生活共同体の中に居る人が、その共同体の身近な人から、「排除」され、「嫌がらせ」を受け、それが、長時間にわたって続くというもの。

 

そして、この「いじめ」によって、自殺をしたという子供が、後を絶たない。

なぜ、「いじめ」は、無くならないのか。

 

個人的には、加害者を、厳しく罰することがないというのも、その一因ではないかと思っているところです。

この山形の事件についても、生徒を殺害した加害者たちは、被害者に謝罪も賠償もしてなくて、今では、結婚をして、子供も居て、普通に生活をしているという話。

これでは、「いじめ」は無くならないのも、当然ではないかと思うところ。

 

よく「加害者側にも、家庭的に恵まれないなどの原因がある」と、加害者の側を弁護する意見を見ますが、これは、論点がズレているのではないかと思います。

罪は、罪として、ちゃんと、処分をしないと。

加害者の方を、サポートしなけらばならないというのは、その後の話で、罪と罪として認識させなければ、反省も無いものと思います。

これでは、殺された子供、自殺に追い込まれた子供は、浮かばれないでしょうし、遺族もまた、加害者を許せない。

 

もっとも、「いじめ」は、子供に限った問題ではない。

大人になっても、会社などで、周囲の人から「いじめ」に遭う人も、かなり居るものと思います。

 

なぜ、日本の社会の中で、この「村八分」のような現象が、たくさん存在するのか。

この本には、日本の社会の中にある「同調圧力」もまた、この「村八分」が生まれる一因のように書かれていました。

近年の「コロナ禍」の社会の中でも、多くの「同調圧力」がありましたよね。

例えば、「自粛警察」と呼ばれるのは、その象徴の一つ。

 

やはり、これは、日本人の「民族」「文化」の問題なのでしょうかね。

その辺りのことは、この本では、明確に、結論を出している印象ではなかったです。