今日は、天気が良いので、散歩に。

児島湾と児島湖を仕切る、締め切り堤防の南、郡の側にある、以前から気になっていた石碑を、見に行ってみました。

 

「浅越和夫顕彰之碑」と書かれています。

この文字を書いたのは、総理大臣の福田赳夫だそうです。

 

こちら、その右隣にある「浅越和夫」という人についての説明版。

どうも、地元の実業家の人だったようで、この締め切り堤防を建設した中心人物だったよう。

 

さて、この顕彰碑の隣にも、三つの大きな石碑が。

 

 

右から、

 

「児島湾農業用水改良之碑」

 

「創立三十周年記念之碑」

 

「殉職之碑」となります。

 

個人的に、気になったのが、この「殉職之碑」です。

恐らく、この締め切り堤防を作る時の事故か何かで、亡くなった人の慰霊碑なのではないかと想像します。

石碑の裏側には、九名の名前が、刻まれていました。

 

この石碑のある場所の近くに、このような建物があります。

 

 

「瀬戸ダイビング」という看板と、船のモニュメントが。

建物には「ダイビングスクール」「マリンスポーツ」と書かれていましたが、今では、廃業し、建物は使われていないようです。

 

こちらは、今も、使用されているもののようで、真新しい。

 

児島湖の風景。

 

 

 

 

さて、石碑のある場所の道を挟んだ東側に、港があります。

 

上部の無い常夜灯があります。

常夜灯があるということは、この港は、古くから使われていたということでしょう。

 

正面に見える丘の上にあった古墳が、最近、児島半島では最大の前方後円墳だと確認されたという記事が、以前、新聞に出ていました。

残念ながら、古墳は、今は、残っていない。

 

さて、この港の、少し南に、神社があるのが、道路から見えます。

そこにも、行ってみました。

 

こちら、神社の前にあった「郡のだんじり」の説明版です。

 

こちらが、小さな丘の上にある神社で「郡総社宮」と言うそうです。

鳥居の左に、新しい建物が見えますが、そこにも、説明版が。

 

これは、「羽柴秀吉の書状」に関する説明版です。

備中高松城の水攻めの直前に、ここ、郡の年寄りが、堤防の建設に協力したことについての礼と、更なる、協力を依頼する内容が、書かれているそうです。

 

こちら、拝殿。はっきりと写っていなかった。

 

振り返る。

 

拝殿、向かって左。

 

こちら、足下は、きれいに整備されていますが、左側の社は、かなり風化をしていて、古く見えます。

二匹の狐が座っているところを見ると、お稲荷さんでしょうかね。

 

こちら、本殿。

 

神社、横の駐車場に、このようなものが。

何なのでしょうね。

 

さて、帰る時、宇野駅に、初めてみる電車が止まっていました。

 

 

駅前には、この電車から降りて来たと思われる外国人が、数人、歩いていました。

直島にでも、行くのでしょうかね。