数多くの「良寛」に関する本がある中で、個人的に、好きなのが「良寛の四季」という本です。

 

 

 

この本。

文章が、まるで、エッセイを読んでいるようで、とても、読みやすい。

そして、良寛が、どのような土地で暮らしていたのか、その自然風景の描写に詳しく、良寛と、実際に親交のあった人の家に残されている良寛の逸話など、他の本では、あまり見ない内容も書かれていて、「高僧」としての良寛ではなく、その土地に、かつて、生きていた、一人の「人間」としての良寛が、感じられて、とても身近に思える。

 

もっとも、内容は、それだけではなく、「良寛」という人物の、様々な面を知ることが出来る良書だと思います。

そして、著者、独自の、良寛についての推測も書かれていて、それもまた、興味深いもの。

 

その、著者、独自の推測を、二つ、紹介します。

 

良寛の母は、かつては「ひで」という名前で知られていましたが、実際には、「のぶ」というのが正しい。

この「のぶ」は、佐渡島の橘屋庄兵衛の家の長女として生まれる。

この佐渡の橘屋は、出雲崎の橘屋の分家。

そして、「のぶ」は、出雲崎の橘屋に嫁として入ることになる。

実は、この橘屋本家の姑は、実は、佐渡の分家から、嫁に来た人。

「のぶ」にとっては、叔母に当たります。

 

この時、橘屋本家で、「のぶ」の夫となったのは、新次郎という人物で、この新次郎は、養子として橘屋本家に入っていた人物。

しかし、数年で、離婚をし、新次郎は、自分の実家である新津の大庄屋、桂家に戻ったようです。

そして、桂家の四代、誉章(たかあき)が、この新次郎と推定されるそうです。

 

そして、「のぶ」は、与板の親木家から以南を婿に迎え、再婚をすることになる。

普通、良寛は、「のぶ」と、この「以南」との間の長男と言われていますが、著者は、良寛は、先の夫、「新次郎」との間の子供ではないかと推測をしていました。

良寛は、父、以南との確執によって、山本家を出て、出家をすることになる訳ですが、それは、実の親子ではなかったということも一因ではなかったかと推測をしています。

もちろん、確かな史料からは、確認は出来ない。

 

そして、もう一つは、「宗竜禅師」と、良寛の関係。

 

良寛が師事した人物として、備中国玉島の円通寺の国仙和尚が有名ですが、もう一人、良寛が師事した人物に「宗竜禅師」が居ます。

この宗竜禅師の事績を見ると、良寛は、国仙よりも、むしろ、この宗竜の影響を、強く受けているのではないかと思わない訳でもない。

 

良寛は、この宗竜に会うために、宗竜の居る寺を訪ねるのですが、その寺の僧に拒否される。

そのため、良寛は、夜、壁を乗り越えて、宗竜の居る場所の近くにある手水鉢の手紙を残し、返事を待ったということ。

そして、その手紙を見た宗竜は、良寛に「いつでも来れば良い」と返事をし、良寛は、宗竜に教えを請うことになる。

 

この良寛と宗竜の出会いは、一般的に、円通寺での修行を終えた後と考えられているようですが、著者は、この出会いは、良寛が、山本家を出奔し、出家をするまでの間ではなかったかと推測をしています。

そして、良寛と国仙をつないだのも、宗竜ではなかったかと。

 

さて、真相は、如何に。

と、言ったところですが、良寛は、自分のことを、あまり語り残さなかった以上、第三者の史料が、新たに発見されるか、また、推測をするしかない。

そこが、また、面白いところでもあるのですが。