今朝は、藤井海岸から、三隻の船が見えました。

 

曇り空。

 

手前の二隻は、停泊中。

一番、右の遠くの船は、こちらに向かって航行中。

自動車を乗せるための船でしょう。

 

さて、昨日、帰宅途中に、車の中でラジオを聞いていると、「ギャンブル依存」の話をしていました。

大谷選手の通訳の人が、この「ギャンブル依存」だと告白をしたということで、世間の認知度も、広まったことでしょう。

しかし、この「ギャンブル依存」が、どのようなものか。

正しく理解をしている人は、少ないのではないでしょうかね。

僕自身も、誤解をしていたところでした。

 

なぜ、「ギャンブル」を止められないのか。

 

それは、「ギャンブルが好き」だから「意思が弱くて」止められないと思っている人が多いのではないでしょうか。

僕自身は、「勝った時の快感が忘れられなくて、ギャンブルが止められない」のかなと思っていました。

どちらも、間違いです。

 

どうも「ギャンブル依存」とは、勝とうが、負けようが、とにかく「お金を賭ける」ということに、快感を感じるようになってしまっているようですね。

これは「アルコール依存」が、「アルコール」に快感を感じ、「薬物依存」が「薬物」に快感を感じるのと同じです。

この「快感」を得るために、「アルコール依存」が、アルコールを飲み、「薬物依存」が、薬物を摂取するのと同じように、「ギャンブル依存」は、「お金を賭ける」ことになる。

 

これは、やはり、「脳」の働きに原因があるそうです。

人間が、「快感」を感じる時に出る脳内物質が、「お金を賭ける」ということに、過剰に反応をするようになってしまう。

そのため、生活の中で、「ギャンブル」が最優先になり、生活に必要なお金を「ギャンブル」につぎ込み、借金をしてまでも「ギャンブル」をすることになる。

「ギャンブル」をすること以外では、この「快感」を得ることが出来ない。

これが、「ギャンブル依存」です。

 

そして、その「快感」は、賭けるお金が大きければ、大きいほど、良いようです。

そして、当然、ギャンブルには、負けることになり、借金が増える訳ですが、この借金を、また「ギャンブル」で返そうとしてしまう。

 

そして、「ギャンブル」を続けるために、周囲の人たちに「嘘」をつくことになる。

そのため、周囲の人は、その人が「ギャンブル依存」だと分からないことも多いのでしょう。

 

そして、一度、「ギャンブル依存」になると、「アルコール依存」「薬物依存」と同じように、一生、「ギャンブル」への誘惑と戦いながら、生きて行かなければならないようです。

「アルコール依存」が、一生、飲酒の誘惑、「薬物依存」が、一生、薬物への誘惑と戦いながら、生きて行かなければならないのと同じです。

 

当人は、辛いでしょうね。

何しろ、「脳」が求めるものを、自分の意思で、拒否し続けなければならないのですから。

 

でも、「アルコール」が好きな人が、必ずしも「アルコール依存」にならないのと同じように、「ギャンブル」が好きな人もまた、必ずしも、「ギャンブル依存」になる訳ではない。

この差は、何なのでしょう。

「アルコール依存」に陥る人は、何か、精神的な悩みを抱えている人が多いという話を聞きますが、「ギャンブル依存」もまた、そうなのでしょうかね。

 

さて、藤子不二雄Aさんの「ブラックユーモア短編」の中に、「マカオの男」という作品があります。

 

 

この本の中に収録されています。

 

主人公は、マカオのカジノで、客にギャンブルのコツをアドバイスすることで生活をしているのですが、実は、稼いだお金を、全て、カジノのギャンブルにつぎ込んでしまう「ギャンブル依存」の男。

他人にアドバイスをする時は、良いのですが、自分で賭けると、全く、駄目。

いつまでたっても、ギャンブルから抜け出せない男の話です。

 

ギャンブルで儲けて、金持ちになろうというのは、夢のまた夢のお話です。