先日、小説「博士の愛した数式」で、「記憶障害」の話をしましたが、もう一つ、この「記憶障害」を扱った、面白い物語が。

 

それは、映画「50回目のファーストキス」というもの。

 

 

この映画に登場する「ルーシー」という女性。

彼女は、事故によって「記憶障害」を持っている。

彼女の場合、目が覚めると、毎日が、「父親の誕生日」の日。

その日も、次の日も、また、次の日も、彼女にとっては、目が覚めるたびに「父親の誕生日」の日。

 

ルーシーの記憶障害を不憫に思い、周囲の人たちは、みんな、ルーシーに話を合わせ、毎日、生活を送っている。

そこに、「ヘンリー」という男性が登場する。

ヘンリーは、ルーシーに好意を持ち、仲良くなるのだが、次の日、ルーシーに会うと、昨日のことを、全く、覚えていないし、自分のことも、もちろん、覚えていない。

なぜ、そのようなことになっているのか。

 

ルーシーが、記憶障害であることを知ったヘンリーは、毎日、彼女と出会い、知り合い、恋愛をし、そして、ファーストキスをすることを続ける。

もちろん、ルーシ-にとっては、毎日が、初めての出会いであり、毎日、ファーストキスをするということ。

 

さて、二人の恋愛は、どうなって行くのか。

 

ウィキペディアを見ると、このルーシーの症状は「前向性健忘」と呼ばれるそうです。

この「前向性健忘」とは、その障害を負った時、以降のことを記憶することが出来ない状態を言うそうです。

ルーシーの場合は、事故の日、つまり、父親の誕生日の日、以降のことを記憶出来ない状態。

つまり、毎日、目が覚めると「父親の誕生日」ということになる。

 

もう一つ、「記憶」に関する映画で、面白いのが「トータルリコール」です。

こちらは、記憶障害という訳ではないのですが、つまり、「記憶」=「現実?」という感じの映画。

 

 

主人公は、「クエイド」という労働者。

日々、真面目に働く、平凡な日常の繰り返し。

 

ある日、クエイドは、「真実のような夢を見させてくれる」という「リコール社」という会社の存在を知り、そこを訪ねる。

クエイドは、そこで、「どのような夢を見たいですか」と聞かれ、「自分は、スパイで、どのような物語で、どのような女性が登場して……」と、具体的な要望を、社員に話す。

 

そして、「さあ、これから、夢の中に入りますよ」という直前、社員が、異常に気がつく。

社員は、クエイドに「あなた、何か、隠し事をしていますね」と言い、辺りが、騒がしくなる。

突然、部屋の中に入ってきた複数の人物にクエイドは、襲われますが、クエイドは、その男たちを倒し、現場を脱出。

クエイドは「一体、自分に、何が起こったんだ」と思いながら、敵と戦いながら逃走。

そして、クエイドは、自分自身の真実を知ることになる訳ですが、果たして、それは、本当の「真実」なのか、それとも、「リコール社」によって見せられている「夢」なのか。

 

この映画、映画を見ている人にも、映し出されている物語が、クエイドの「真実」なのか、それとも、「リコール社」の作り出した「夢」なのか、最後まで見ても分からない。

もっとも、「夢」というものは、誰しも、見ている間は、それが「真実」と思っている。

ウィキペディアによれば、映画のエンドロール直前の演出が、この物語は、「リコール社」の「夢」であることを示唆しているということ。

 

この映画の原作は、フィリップ・K・ディックの「追憶売ります」という短編小説。

この「追憶」とは、「過去を忍ぶ」ということなので、つまり、過去の「記憶」ですよね。

小説は、未読ですが、タイトルからして、主人公に「記憶」を売るという内容なのではないでしょうか、と、想像します。

 

この「夢」というのも、不思議なものですよね。

なぜ、あのような景色や、あのような物語を「夢」で見るのか。

「夢」を見ている時には、それが自然で、何も、不思議に思わないのですが、目覚めてから、「夢」を振り返ると、なぜ、自分が、そのような「夢」を見たのか、不思議で仕方がない。

何か、理由があるのでしょうが。