アメリカが、第二次世界大戦終了直前に開発した艦上戦闘機「グラマンF8Fベアッキャト」。

それが、こちら。

 

 

 

日本の「零式艦上戦闘機」よりも小さな機体に、2000馬力を超える大馬力のエンジンを搭載し、高性能を引き出すことを狙った戦闘機で、この発想も、やはり、ドイツの戦闘機「フォッケウルフFw190」を参考にしているそうです。

機体の小型化には、小さな空母でも運用が出来るようにという考えもあったそうです。

 

このF8Fを搭載した空母が、日本が向かっている途中で、日本が降伏し、このF8Fが太平洋戦争で実戦に参加をすることは無かった。

 

同じ時期に、日本で開発されたのが、艦上戦闘機「烈風」です。

それが、こちら。

 

 

この「烈風」は、F8Fとは逆に、機体は、零式艦上戦闘機よりも、更に、大型化し、この「烈風」を見た搭乗員は、「まるで、艦上攻撃機のようだ」と言ったということ。

終戦間際に、正式採用が決まったようですが、試作機が、数機、完成をしていただけで、量産機は、一機も、完成していないということのよう。

上の写真は、その試作機の一つで、武装解除のために、プロペラが外されている。

 

もし、この「烈風」と「F8Fベアキャット」が、空中戦をすることになれば、恐らく、「烈風」の方が、分が悪かっただろうという話。

本来、日本としては、この「烈風」を、ミッドウエー海戦の直後くらいに、投入をし、「F6Fヘルキャット」に対処しなければならなかったのですが、それが出来なかった。

 

さて、この「F8Fベアキャット」は、イギリスが、終戦間際に開発し、第二次世界大戦に間に合わなかった「ホーカー・シーフューリー」と並び、「最後のレシブロ戦闘機」ということになる。

ちなみに、「シーフューリー」が、こちら。

 

 

第二次世界大戦末期、ジェット戦闘機が、実戦に登場することになるのは、この「レシプロ機」の性能が、構造上、頭打ちになることが想定されたから。

 

この「レシプロ」エンジンの飛行機は、どこまで速く、飛ぶことが出来るのか。

 

アメリカで、「リノ・エアレース」という大会がありました。

アメリカのネバタ州で、1964年から、毎年、9月に行われていた。

残念ながら、2023年の大会で、最後を迎えたそうです。

 

この「リノ・エアレース」は、様々な飛行機が、低空を、高速で周回飛行し、その速さを競うというもの。

様々な「クラス」がありますが、その中で「アンリミテッド」というクラスがあり、これは「レシプロ機なら、どのような機体でも構わない」というクラス。

このクラスでは、「F8Fベアキャット」「シーフューリー」「P51マスタング」という、かつての戦闘機が、高速を出すために、高度に改造されて参加をしています。

 

P51マスタング。

 

シーフューリー。

 

F8Fベアキャット。

 

これらの機体は、3000馬力に近いエンジンに換装され、空気抵抗を減らすように改造されている。

時速700キロを超えて、低空を飛行する姿と音は、圧倒的な迫力でしょう。

 

 

 

これは、「F8Fベアキャット」を改造した「レアベア」と呼ばれる機体です。

この「レアベア」が、時速850キロという、レシプロ機の最高速度の記録を持っているそうです。

恐らく、それが、レシプロエンジンで飛行をする飛行機の速度の限界なのでしょう。

 

さて、この「F8Fベアキャット」ですが、機体を小型化したために、汎用性、発展性に欠け、戦後、間もなくして、その役目は、ジェット戦闘機に取って代わられることになる。

ちなみに、「P51マスタング」「シーフューリー」や「F4Uコルセア」などは、1950年の朝鮮戦争でも、実戦に参加をしている。

やはり、汎用性、発展性を持たせるということは、長期に渡って使うというこを前提にするなら、重要なことなのでしょう。