今日も、良い天気なので、散歩がてら、また、大崎へ。

以前、八浜合戦の舞台だった「柳畑古戦場」を見に行きましたが、その近くには「大塚家五輪塔」と呼ばれるものがあります。

 

このような、道しるべがあります。

この道しるべに沿って、北に向かうと、墓地があります。

その墓地の一角に、「大塚家五輪塔」は、あります。

 

こちらが「大塚家五輪塔」です。

右手に、説明板が、倒れていますね。

 

この説明板によると、この「大塚家」は、元々、常山城の総門二の丸の侍大将だった国富一学という人物が、常山城落城の時に、この土地に逃れ、帰農し、「大塚」という姓を名乗ったそう。

大崎の組頭を務めた国富の流れを汲むということ。

 

反対側から五輪塔を見る。

 

五輪塔の隣には、このような、小さな、古いものが。

何なのでしょうね。

 

五輪塔の間にも、このような、小さなものが。

 

五輪塔のアップ。

 

 

常山城が、毛利氏の軍勢に攻められ、落城をしたのは、天正2年(1575)6月のこと。

その時の城主は、上野隆徳です。

妻の鶴姫は、備中松山城主だった三村元親の妹。

常山城は、この毛利氏による備中国三村氏の勢力の制圧の、最後の城だった。

大塚家は、その落城の時に、城を脱出した人の子孫ということになる。

 

他にも、以前、ケーブルテレビを見ていると、この常山城落城の時に、狂人のふりをして毛利軍の包囲を脱出したという人の子孫が、今も、家を受け継いでいるそうです。

また、八浜に「道清夫婦の墓」という史跡がありますが、この夫婦は、上野隆徳の6歳を娘を連れて、城を脱出した武士が居て、その息子が、その後、その娘と結婚。その夫婦の墓だということ。

また、見に行かないと。

 

 

こちら、墓地のある山から、岡山方面を見る。

 

近くでは、綺麗な花が、咲いていました。