今朝は、快晴。

やはり、快晴の朝の空は、気分が良いですね。

 

 

最近、どうも、梅雨のような天気が続いていましたが、雨不足には、有り難い雨。

多少、雨不足は、解消されたのでしょうかね。

 

 

こちらは、今日の夕方、西の空。

二本の飛行機雲がありました。

一本は、綺麗な直線、もう一本は、すでに、乱れています。

 

さて、少し余談。

 

前日、「同窓会」に、自治体が、補助金を出すという報道がありました。

この「同窓会」を「出会いの場」にしてもらい、結婚、出産につなげようという話のよう。

実際に、同窓会で、再会し、交際、結婚に至るというケースもあるようですね。

しかし、補助金を出してまで、やることなのかどうか。

 

さて、この「同窓会」というもの。

そこから、交際し、結婚、出産となれば、二十代、三十代までには、同窓会をしなければならないということになりますよね。

普通、どうなのでしょう。

二十代、三十代くらいの頃に、一度は、同窓会というものが開かれるものなのでしょうか。

 

僕の場合、もう、とっくに、結婚をし、子供を持つことを考えるという年齢は過ぎてしまっていますが、こでまで、一度も、同窓会の案内なんど、来たことがない。

本当に、これまで、一度も、同窓会が無かったということなのか、それとも、同窓会はあったのだが、僕のところに案内は来なかったということなのか。

以前も、少し、書きましたが、僕は、中学に入った頃から、周囲との関係を上手く作ることが出来なくなり、クラスの中で、仲間はずれにされている訳ではなかったものの、クラスメイトの中に溶け込んでも居なかった。

そのため、もし、同窓会があったとしても、幹事役の人が、「あいつは、呼んでも来ないだろうから」と思い、案内を出さないということも十分にあり得る話。

そして、もし、仮に、案内状が来たところで、僕は、同窓会に出席するつもりはないので、もし、幹事役の人が、そう考えて、案内を出さなかったのだとすれば、それは正しいということになる。

別に、今、かつての同級生に会いたいという気持ちはないし、もし、会ったとことで、何も話すことがない。

それは、恐らく、同級生たちの僕に対する考えも、同じなのではないでしょうかね。

 

思い出話を、一つ。

 

中学生の時、週に一度、時間割の中に「ゆとり」の時間というものがありました。

この「ゆとり」の時間は、そのクラス、クラスで、自由に使う時間で、具体的に、何をしていたのかということは、ほぼ、覚えていない。

しかし、中学三年の冬、一度だけ、よく覚えている「ゆとり」の時間があります。

 

何が、どういう経緯で決まったのか、前日、生徒が帰った後に、その「ゆとり」の時間に、運動場で、サッカーをすることが決まったようで、「明日は、体操服を持って来るように」という連絡が「連絡網」で回ったよう。

この「連絡網」というもの。

今は、個人情報がうるさい時代で、存在をしないとも聞きますが、当時、クラスごとに、名前と、その人の電話番号が、いくつかの列に分かれ、上から順に、連絡事項を、電話で伝えて行く「連絡網」というものがありました。

何か、突然の連絡事項があれば、担任から、その連絡網を使って、クラスの生徒たちに連絡が回ることになっている。

それの「連絡網」のプリントを、家の電話に近くに張ってあったりしたもの。

そして、その連絡網を使い、「明日は、体操服を持って来るように」という連絡が、クラス全体に回ったようなのですが、なぜか、僕に家にだけ、電話が来なかった。

当然、僕は、体操服など、学校に持って行って無かったので、みんなが、体操服に着替え始めて驚いたところ。

僕が、連絡網の最後ではなかったので、恐らく、僕の上の名簿の人が、僕を飛ばして、下の人に電話を回したということになる。

なぜ、そのようなことになったのか。

僕は、クラスに馴染んでいないという自覚があったので「こんなものか」と思い、特に、ショックも感じなかった。

担任の先生は、「制服で、サッカーすれば」と言ったのですが、そのような気持ちには、当然、ならず、一人、石段の上に腰を下ろし、見学をしていたのを覚えています。

 

これなら、もし、同窓会があったとしても、案内状が来ないのは、当然のことなのかも。