玉地区は、僕が、小学生の頃まで、玉野市で、もっとも、賑やかな場所の一つでした。
玉地区はもちろん、和田地区や玉原地区には、三井造船に勤める人と、その家族が、大勢、住んでいて、その人たちが、玉地区に、みんな、買い物に来ていた。
商店街にも、たくさんの人が集まっていたものです。
玉商店街のアーケード街だった場所。
今では、もはや、営業をしている店は、ほぼ無く、寂しいものです。
子供の頃、夏には、毎週、土曜夜市が行われ、露店も出て、大勢の人が集まり、賑わっていた。
この商店街周辺で、かつての名残を残す建物を、いくつか。
こちら、「かまぼこ店」だったようですね。
味のある看板です。
こちら「金物」屋だったよう。「物」という文字に、特徴がありますね。
こちら「たばこ」屋と「軽食」屋だったよう。
面白い看板ですよね。
こちら、衣料品店のよう。このお店は、今も、営業中です。
さて、この「玉商店街」に関して、何年か前に、新聞で、面白い記事を読みました。
かつて「平民宰相」と呼ばれた、内閣総理大臣の「原敬」という人物がいます。
この原敬は、1921年(大正10)に、暗殺をされることになる。
暗殺をしたのは「中岡良一」という男。
逮捕され、無期懲役になったそうですが、三回の恩赦により、1934年(昭和9)に出獄することに。
しかし、この時、どうも身元引受人が居なかったようで、そこで、どういう関係なのか、当時、和田地区に住んでいた名士の人が、身元引受人として、この中岡良一の身柄を引き受け、和田地区にあった自宅に、何年か住まわせていたということ。
その間、中岡は、自転車に乗って、この玉商店街にあった本屋に、毎日、働きに出かけていたそうです。
この中岡良一は、その後、満州に渡り、陸軍司令部で勤務。
1980年(昭和55)に、77歳で死去したということ。
意外な人物と縁があったものです。
まだまだ、知らない歴史が、たくさんある。