雑誌「ニュートン」の今月号。

もう一つの特集が「時間は存在するのか」というもの。

 

 

この「時間」についても、個人的に、大きな関心がある。

内容を、簡単に、まとめてみます。

 

古代ギリシャの哲学者、アリストテレスは、「時間とは、運動の前後を計測した数である」と考えたそうです。

つまり、「時間」というものは、「変化」をしたものを「数える」ためのものということ。

逆に言えば、「変化」が無ければ「時間」は存在しない。

 

そして、ニュートンが登場する。

 

ニュートンは、「時間」というものは、「宇宙のどこでも、誰にとっても、常に、一定で、物体の運動に関係なく、流れて行く」という「絶対時間」を提唱する。

これは、多分、今、多くの人が考えている「時間」というものに対する感覚と同じ。

しかし、同時代のライプニッツは、アリストテレスの考えを支持し、ニュートンの「絶対時間」を批判。

19世紀の哲学者、物理学者のマッハも、「時間」は相対的な概念であるとして、「絶対時間」の存在を否定したそう。

ちなみに、この「マッハ」は、音速を表す「マッハ」の由来になった人。

 

さて、物理学者のボルツマンは、「時間」の「向き」を考えます。

なぜ、「時間」は「過去」から「未来」に流れ、「未来」から「過去」に流れないのか。

そこで、ボルツマンは「エントロピー増大の法則」が、「時間」の向きを決めていると主張。

これは「秩序ある」(エントロピーが低い)ものが、「無秩序」(エントロピーが高い)へと広がっているというものです。

これは「水の中に落としたインクが、広がって行く様子」を見れば、よく分かる。

これは、必ず、逆にはならない。

 

しかし、この「時間」の流れは、一つの問題があります。

それは、この「エントロピー増大の法則」によれば、「宇宙」は、この「エントロピー」が、「極小」の状態で生まれたことになる。

なぜ、宇宙は、この「エントロピーが極小」の状態で生まれたのでしょう。

 

この「宇宙」の誕生の問題は、「時間」とは、直接、関係の無いように思われますので、ここでは、省きます。

 

そして、アインシュタインが登場。

 

アインシュタインは、ニュートンが提唱した「絶対時間」の概念が、誤りであるといいうことを理論的に証明します。

それが「相対性理論」です。

ニュートンは「絶対時間」と共に「絶対空間」を想定し、そこでの物理学を確立しましたが、アインシュタインは、「時間」も「空間」も「相対的」なものであるということを「相対性理論」で証明する。

つまり、観測をする人によって「時間」の流れ方も、「空間」の広がり方も違っているということ。

 

そして、アインシュタインと同時代の哲学者、ベルクソンは「物理的時間」とともに「心理的時間」を考慮するべきだと主張。

この「心理的時間」とは、物質の変化、運動などを「心理的」に感じる時間ということのよう。

アインシュタインは、この「心理的時間」の存在は認めつつも、「科学的に示すことが出来ない」と批判をしたそうです。

 

さて、アインシュタインの「相対性理論」は、ニュートンの理論と同じく「時間の向き」を理論的に説明することが出来ないということ。

そこで、「時間」の問題に「量子論」が関わることになる。

この「量子論」は、一般の常識とはかけ離れた振る舞いをする、非常に小さい物質、例えば「素粒子」などを対象にした理論ですが、そこには、「時間の向き、流れ」に関係すると思われる現象が出現をするそうです。

これは「非可換性」と呼ばれ、極めて、小さな世界には、一定の、崩すことが出来ない前後関係があるということ。

 

そして、この「量子論」と「相対性理論」を統合する「量子重力理論」の研究が、今、進められている。

これは、この「宇宙」を証明するための「究極の理論」だと考えられているそう。

実は、この「量子重力理論」の、最も基本的な方程式「ホイーラー・ドウィット方程式」には、何と、「時間」を表す「t」が存在をしないということ。

 

宇宙の現象を考えるための方程式に「時間」が存在をしないとは、どういうことなのか。

これは、「時間」が無くても、宇宙の「物理現象」を計算することが出来るということ。

これは、あのアリストテレスの考えに類似しているということ。

 

しかし、この「ホイーラー・ドウィット方程式」は、宇宙のすべてを記述できる訳ではないそうで、更に、詳しく、宇宙を記述できる理論として研究をされているのが「超ひも理論」であり「ループ量子重力理論」だそう。

この「ループ量子重力理論」にもまた、「時間」を表す「t」は存在をしないそうで、その代わりに、「時間」と「空間」の種のような粒子が存在をしているそう。

この粒子が、相互作用を起こすことによって「時間」が「編み出されて行く」と考えられるそうです。

そして、「超ひも理論」でも、生来的に、「時間」は「種」のようなものによって「編み出されて行く」ようになるだろうと考えられているそうです。

 

とても、不思議ですよね。

 

以前、「宇宙検閲官仮説」のところでも書きましたが、物理学では、「数式」「方程式」によって宇宙の現象を記述し、その「数式」「方程式」から、宇宙に存在をするであろう現象を予測。

その予測によって、現象を観測し、「数式」「方程式」が、「正しいもの」か「間違っている」ものかを証明することになる。

 

理系の才能を持たない僕にとって、この「数式」「方程式」によって、宇宙の現象を考え、証明することが出来るということ自体が、不思議で仕方が無い。

これが理解できる人が、うらやましいです。