歴史に名を残す僧には、必ず、色々と逸話が残っています。
その中でも、禅僧には、多くの逸話が残っている印象。
そして、その逸話の内容は、その僧が、どれほど優れた思想を持った僧だったのかということを表すものが多い。
そして、良寛という禅僧が、今でも、高い知名度と人気を持っているのは、この逸話の多さにある。
そして、良寛に関する逸話は、他の禅僧に逸話とは、かなり、雰囲気の違うものが多い。
それは、まるで、無邪気で、何も知らない、子供のような振る舞いを見せる。
一見、愚かで、馬鹿な人のする行動。
もっとも、良寛という人物が、いかに優れた人物だったのかという逸話も、多くある。
しかし、この「無邪気」で「純粋」で「愚か」な行動を見せる良寛の逸話が、今でも、多くの人を引きつける要因になっている。
それは、まるで、子供に読み聞かせる「童話」の主人公のよう。
もっとも、「逸話」は、あくまでも「逸話」で、必ずしも、事実ではない。
もちろん、直接に、良寛の行動を見た人が語り残したものもある訳で、それは、事実に間違いない。
しかし、完全なフィクションの逸話もあれば、事実を、面白く、大げさに改変をした逸話もあることでしょう。
良寛という人物の人生を知るには、この本は、とても良い本だと思います。
タイトルの通り、良寛の逸話を元に、人生をたどる本。
そして、良寛の「逸話」自体を知りたい人には、この本が良いでしょう。
この本には、余計な著者の解説が無く、シンプルに、良寛の逸話の原型が集められている。
まさに、良寛の逸話を知るための資料のようなもの。
さて、この「良寛和尚逸話選」から。
良寛の逸話を集めたものとして、最も、古いものが、解良栄重の「良寛禅師奇話」です。
著者の解良栄重の父、解良叔問は、良寛の有力な支援者の一人。
つまり、栄重は、実際に、良寛本人と接していた人物。
良寛が亡くなった時、栄重は、二十二歳だったということ。
この「良寛禅師奇話」には、栄重が、直接に見た良寛の言動と、他人から聞いた良寛の言動が記されているものと思います。
良寛という人の人物像を知ることが出来る逸話もあれば、「これって、作り話では」と思われる、一見、普通の人の行動として信じられないような逸話もある。
前者の逸話は、収録をするのは当然として、後者の逸話もまた、この本に記されているということは、「良寛なら、そのような行動をしても不思議ではない」という感覚が、栄重には、あったということなのでしょう。
そして、この本に「奇話」というタイトルがつけられているということは、栄重自身、良寛の行動を「奇妙だ」と思うこともあったということなのでしょう。
そして、松島北渚の書いた「良寛伝」という本。
この本は、越後出身の三浦伯厚という人から聞いた良寛の話を、江戸で北渚が記したものだそうです。
「良寛禅師奇話」と並んで、良寛の逸話を記した本としては、最も、古いものだそう。
しかし、伝記部分については、誤りもあり、信憑性に欠けるそう。
この二つの本と共に、「口伝」として伝えられている良寛の逸話。
そして、実際に、良寛に接していた橘茂世の書いた「北越奇談」の中に記された良寛の話。
晩年に、良寛と親しく接していた貞心尼の書き残した良寛に関する文章。
近藤万丈という人物が、土佐の国で良寛に出会った時のことを書いた文章。
飯塚久利が、良寛と親しくしていた桂誉正から聞いた話を元に記した「橘物語」などが、「良寛和尚逸話選」には収録されています。
これらは、良寛のことを知る上で、基礎的な資料でしょう。
さて、以下、良寛という人物の逸話について、個人的な考え、思いを、いくつか。
良寛という人物の大きな特徴として「子供を相手に遊んでいた」というものがあります。
良寛が修行をした円通寺のある今の倉敷市玉島には「良寛てまり」という和菓子があるようですね。
CMで流れる、良寛禅師が、子供相手に、手鞠をつく絵が、印象的。
そして、良寛が愛用していた手鞠も、今に残されている。
そして、良寛の逸話には、この子供を相手にしたものも多い。
実は、良寛の生きていた時代、「大人が子供を相手に遊ぶ」ということは、全く、無いことだったようです。
つまり、良寛が子供を相手に遊ぶ姿は、恐らく、周囲の人が見ると、とても奇妙な光景だっただろうということ。
なぜ、良寛は「子供」を相手に、よく遊んでいたのでしょう。
そして、良寛には、「托鉢」に関する逸話も、いくつもあります。
良寛は、自分の寺を持たなかった。
どこかの寺の住職になろうと思えば、なれたはずなのですが、良寛は、一乞食僧としての生活を全うした。
乞食僧にとって、「托鉢」とは、生活の糧を得るために重要なもの。
しかし、逸話を信じる限り、良寛は、その日、必要な、最低限の托鉢しかしなかったよう。
一見、他人から貰ったもので生活していると言えば「気楽な生活」のように思える。
しかし、良寛の生活は、「気楽なもの」だったのでしょうか。
「他人から貰ったもの」で生活をしているということは、他人から何も貰えなければ、飢えて死ぬ可能性もあるということ。
つまり、毎日、「死」を覚悟しての生活だったとも言えるのではないでしょうか。
良寛が生活をしていた越後国は、豪雪地帯です。
歩くのが困難なほど雪が降り積もっても、托鉢に歩かなければならなかった。
そして、いよいよ、歩くことが出来なくなれば、何日も、何も食べることが出来ないこともあったでしょう。
それでも、良寛は、乞食僧の生活を続けた。
その覚悟は、相当なものだったのではないでしょうか。
子供を相手に、優しく遊ぶ、無邪気な良寛。
乞食僧として、厳しい生活、つまり、修行僧としての生活に耐える良寛。
このギャップに、個人的に、良寛という人物の不思議さを感じる。
そして、魅力を感じる部分でもあります。
少し、余談。
個人的に関心を持っている俳諧師の井上井月。
井月は、子供の頃に、良寛に会ったことがあるかもと書かれたものを、以前、見た記憶があります。
ネットで調べてみると、良寛が亡くなった時、井月は、九歳だったようです。
果たして、井月は、良寛に会ったことがあるのでしょうか。
興味のあるところです。