今日は、「北方領土の日」だそうですね。

そもそも、「北方領土」とは何かと言えば、北海道からカムチャッカ半島まで続く「千島列島」の中の、北海道に近い四島「択捉島、国後島、歯舞島、色丹島」の四島のこと。

今、この四島は、ロシアの占領下にある。

そして、日本は、この四島を「日本の固有の領土だ」として、ロシアが「不法占拠」としている状態なので、それを日本に返還するよう、求めている。

なぜ、ロシアが不法占拠をしているのかと言えば、先の戦争の終戦間際に、当時のソ連が、軍事侵攻をして占領してしまった。

そして、今でも、ずっと、そのまま。

 

さて、この「北方領土」が、なぜ、日本の「固有の領土」なのかと言えば、幕末、当時の徳川幕府をロシア政府の間で、1855年2月7日に「日露和親条約」が結ばれ、その時に、この四島は「日本の領土」と決められた。

そして、その国境が決められた日にちなんで、今日は「北方領土の日」に決められたということのよう。

 

そもそも、独裁的権力者が指導者である国家が、実効支配をしている領土を、いかなる理由があろうが、他国に渡す訳がないですよね。

そこに、どのような理由があろうが、ロシアは、日本に「北方領土」は返さない。

それは、「領土を減らす」ということは、独裁的権力者の権威に関わる話だから。

自身の権威を貶めるような行動を、独裁的権力者が、するはずがない。

 

それと、ロシアが、日本の北方領土を返さない理由が、もう一つ。

それは、第二次世界大戦の戦勝国間で取り決められた国境の問題が大きいという話で、それは、この本に、わかりやすく書かれていました。

 

 

司馬遼太郎「ロシアについて」。

これは、小説ではなく、司馬さんのエッセイのようなもの。

司馬さんは「坂の上の雲」「菜の花の沖」といった、ロシアに関する小説を書いている。

この本は、その時に、色々と調べた「ロシア」という国について、司馬さんが考えたものを書き記したものということのよう。

 

「北方領土」の問題に関しては、実は、戦勝国間の取り決めにより、ロシアと中国の国境問題にも影響を与える可能性があるようですね。

だから、もし、北方領土を日本に返還すると、中国が、自身のロシアとの国境に関して、問題を突きつけて来る可能性があるという話。

だから、ロシアは、日本に北方領土を返せない。

だからといって、日本は、このまま、ロシアの北方領土の所有を認めるのではなく、抗議は、続けて行かなければならないと書かれていました。

それは、当然、その通り。

 

さて、この本には、「ロシア」という国の成り立ちや、「ロシア」という国の性質が書かれています。

自分なりに、簡単に、まとめてみます。

 

ユーラシア大陸、ウラル山脈の東部の広い地域で、長年にわたって、大きな力を持っていたのが「遊牧民族」です。

この遊牧民族は、その機動力、攻撃力で、農耕民族を脅かします。

そして、この遊牧民族の中に、優れたリーダーが出現をすると、強大な国を作り上げることが出来る。

その最たるものが、チンギスハンに始まる「モンゴル帝国」です。

この「モンゴル帝国」は、ユーラシア大陸を、中国から、中東、ヨーロッパの一部にまで支配を及ぼし、支配下地域の人たちを圧政によって、搾取しました。

もっとも、個人的に、最近、読んだ本のいくつかには、この「モンゴル帝国による圧政は、後世のフィクションで、支配は、かなり、緩やかなものだった」と書かれていて、どちらが真実なのかは、勉強不足で、よく分からない。

とにかく、モンゴル帝国が、かなり、厳格で、厳しい支配をしたということを前提にすると、当然、後のロシアの人たちも、モンゴル人により、厳しく支配をされていたということになる。

しかし、このモンゴル帝国は、間もなく、分裂し、その支配も弱体化し、そのうちに消滅をします。

そして、このモンゴル帝国の支配を脱した地域の一つから生まれたのが「モスクワ大公国」で、ここから、ロシアは始まります。

 

この「モスクワ大公国」は、モンゴルによる支配体制を真似、一部の特権階級が、多くの国民を酷使し、搾取をするという国家体制を取ったようです。

「農奴」と呼ばれる人たちが、歴史上、有名ですが、まさに奴隷のような存在だったようですね。

そして、モンゴル人による支配の教訓から、ロシアの人々は、異常に外敵を警戒する人たちになったということ。

常に、外国から攻撃されるのを警戒し、それに備える国になったということで、今のウクライナ侵攻を見ると、それも、一理あると思えるところです。

 

さて、ロシアが、なぜ、ユーラシア大陸の多くを領土とする国になったのか。

 

モスクワ大公国が出来た後も、ウラル山脈以東には、まだ、遊牧民族の国があった。

しかし、この遊牧民族の戦闘力の優位性は「鉄砲」の出現によって、無力化されることになる。

そして、当時、ユーラシア大陸の森林地帯には「黒貂」が生息をしていて、この「黒貂」の毛皮が、ヨーロッパで高値で取り引きをされていたそうで、この黒貂を求めて、人々は、ウラル山脈を越え、ユーラシア大陸中央の森林地帯に入り込むことになる。

 

そして、ロシアもまた、ウラル山脈を越え、ユーラシア大陸に領土を広げて行く訳ですが、これは、正規軍による正当な作戦という訳ではなかったようですね。

盗賊集団の首領のような人に、国としてのお墨付きを与えて、ユーラシア大陸に侵出させ、その首領が、自分が遊牧民族などから奪った土地を、ロシアの王に献上するという格好で、ロシアは、東へ、東へと、領土を広げていったよう。

そして、それは、ベーリング海峡を越え、アラスカにまで到達をすることになる。

 

しかし、交通の発達をしていない時代、ユーラシア大陸の広大な領土に、食料など、生活に必要な物資を届けるのは、相当に困難で、飢えに苦しむ人も多かったようです。

そこで、ロシアが目をつけたのが「日本」ということになる。

つまり、「日本」から物資を輸入し、ユーラシア大陸の東から、物資を運び込もうという考え。

幕末期に、ロシアが、何度も、日本に接近を図ったのは、こういう理由があったそう。

 

さて、ここからは、視点が「ロシア」から「遊牧民族」に移ります。

 

鉄砲という武器が発明され、広がったことで、その機動力、攻撃力で農耕民族を恐れさせた遊牧民族の優位性は失われ、逆に、攻撃、圧迫を受けることになります。

つまり、「ロシア」の発展は、「遊牧民族」の衰退と表裏だということ。

かつて、ユーラシア大陸で大きな力を持った遊牧民族は、次第に、その生活の場を奪われて行くことになる。

西から侵攻をして来たのが「ロシア」で、南から侵攻をした来たのが「中国」、当時は「清帝国」です。

この「ロシア」と「清」の狭間で、遊牧民族は、民族としてのアイデンティティーを奪われ、困難な生活を強いられることになります。

清帝国の遊牧民族に対する政策は、ロシアよりも、更に、過酷なものだったそう。

 

司馬さんは、「遊牧民族」に畏敬の念を持っていたようですね。

遊牧民族の人たちに、同情と、温かい目を注いでいる。

僕も、個人的には、「地球」という環境の中で、人類が生きて行くには、この「遊牧民族」の生活様式が、最適ではないかと思うところ。

自然と共に生き、余計なものを持たない。

本来、人間は、そうあるべきではないかと。

 

さて、以上、記憶を元に書きましたが、もしかすると、本の内容とは違うところがあるのかも。