江戸時代、空を飛ぼうと考えた人は、何人か居たようですが、今の玉野市八浜に生まれた「幸吉」も、その中の一人。

ネットで、その幸吉の人生を調べてみる。

 

生まれは、宝暦7年(1757)。

備前国児島郡八浜の浮田清兵衛の次男として生まれたということ。

7歳で父を亡くし、岡山市の紙屋に奉公に出て、表具を習う。

空を飛ぶ鳥に興味を持ち、鳥が空を飛ぶメカニズムを研究し、表具師の技術を生かして、翼を作り、その翼を装着して、1785年、旭川にかかる京橋から、飛行を試みる。

少し、飛行をしたとも、直後に落下をしたとも言われているよう。

しかし、これが大きな騒ぎとなり、幸吉は、「世間を騒がせた」という罪で、岡山を「所払い」にされたということ。

この幸吉が空を飛んだという話は、同時代の著書に、いくつか記録があるそうですが、どれも、伝聞情報で、実際に見た人が書いた訳ではないということ。

そして、幸吉は、駿河国駿府に移り「備前屋幸吉」として、木綿を扱う店を開き、その後、店は、兄の子に継がせ、幸吉は、「備考斉」と名乗り、手先の器用さを生かして「義歯」を作る腕の良さで、評判になったということ。

また、時計なども制作をしたとか。

晩年の様子は、定かではなく、いくつかの説があるようです。

一説には、駿河国安倍川で、再び、空を飛んだとも。

お墓は、静岡県磐田市の大見寺にあります。

そして、1997年、当時の池田家当主によって、幸吉の岡山所払いは、解除されたそう。

 

この幸吉を顕彰した石碑と看板が、八浜のバス停の脇にあります。

それが、こちら。

 

「鳥人櫻屋幸吉生誕の地・はちはま」と書かれています。

「櫻屋」とは、幸吉の父が経営していた宿屋の屋号のようです。

 

石碑と看板。

看板には、幸吉の生涯が書かれています。

 

こちら、裏側。

 

藤子F不二雄先生の漫画「キテレツ大百科」に登場する「奇天烈斎」という人物。

主人公、木手英一は、この江戸時代の先祖、天才発明家「奇天烈斎」の残した本「奇天烈大百科」を元に、次々と、不思議な発明を続ける訳ですが、この「奇天烈斎」もまた、江戸時代に空を飛び、世間を騒がせたという罪に問われ、投獄されたということになっているんですよね。

これは、この「幸吉」の話をモデルにしているのではないでしょうか。

ちなみに、奇天烈斎は、確か、発狂をして死んだということになっているはずで、それは、天才、平賀源内をモデルにしているのかなと思うところ。

 

 

さて、この場所の近くに「蔵泉寺」というお寺があります。

車から見ても、門が見えるだけで、本堂のようなものが見えない。

それで、ついでに、近くに歩いて行ってみました。

 

こちらが、蔵泉寺の門です。

右には、「児島八十八カ所」の「第七十番札所」を示す石柱もある。

 

そして、門の正面に、小さなお堂があるだけで、境内は、墓地になっているよう。

 

他の方のブログに、この蔵泉寺のことを書かれたものがあり、それによると、児島八十八カ所の第七十番札所は、明治19年に、権利が譲受され、今では、永井という地区にある永井大師堂が、第七十番札所になっているそう。

 

また、他の記事によれば、やはり、今は、お寺ということではないよう。

この蔵泉寺にあった本尊は、郡の万年寺に移管されているということ。

門の中に見えるお堂には、弘法大師が祭られているそうです。

 

そして、札所の権利は、明治19年に委譲をされたということですが、この門のところにある札所の石柱には、明治35年の年号がある。

これは、謎だということのよう。