江戸時代、「良寛」という禅僧が居ました。

この良寛は、一休、親鸞と並び、歴史に名を残した僧の中では、最も、知名度が高く、最も、人気の高い人物なのではないでしょうか。

以前のブログに書いた通り、僕は、一時、自分の「心の有り様」に悩み、まともな生活をすることが出来なかった。

そして、この自分の「心の有り様」に、何とか、折り合いをつけることが出来るようになったきっかけが、この「良寛」という人物を知ったこと。

 

良寛は、宝暦8年(1758)、越後国、出雲崎の名主、橘屋の長男として生まれます。

当然、将来は、名主の職を継ぐことになる訳ですが、良寛は、見習い期間の最中に、突如、仕事を放棄して出家をします。

理由は、色々と言われていますが、史実としては、どれも定かではありません。

曹洞宗の光照寺というお寺で、修行をしていましたが、22歳の時、そこで、国仙という人物に出会い、師と仰ぐことになります。

そして、国仙が住職を務める備中国玉島の円通寺に移り、そこで、修行を積むことに。

良寛は、34歳まで、円通寺で修行を続けます。

その後、諸国を巡り、出身地の越後国に戻り、そこで「乞食僧」としての生活を送ります。

国上山にある国上寺の「五合庵」で、一時、生活をしていたのが有名な話。

 

この「良寛」が、どのような生涯を送り、どのような人物だったのか。

個人的に、色々と本を読んだ中で、もっとも、入門書として適当だと思ったのが、この本でしょうか。

 

 

さて、この「良寛」は、いわゆる「名僧」「高僧」の一人。

しかし、良寛が、一休、親鸞といった、他の「名僧」「高僧」と大きく違うのは、他人に対して「説法」というものを、全く、しなかったということ。

 

歴史に名を残す有名な僧は、自分自身の「思想」や「考え」を、周囲の人たちに知ってもらい、それを、自分の言動によって、世間に広めようとするもの。

しかし、良寛は、全く、それをしなかった。

 

良寛は、徹底して、一人の「乞食僧」として生涯を送った。

良寛が、なぜ、そのような人生を送ったのか。

それは、良寛の事績を学ぶ人が、自分で、考えなければならない。

 

良寛に関しては、また、追々に。