また、トヨタの関連会社で、不正が発覚という話。

今度は、エンジンに関して、認証取得の時に、不正が行われたとか。

理由は、短期での開発を強制され、「無理だ」と言っても、上司は聞き入れず、仕方なく、不正を続けていたということのよう。

前回の、ダイハツのケースと、全く、同じですね。

 

さて、「エンジン」というもの。

どのような乗り物でも、この「エンジン」が、最も、重要ということになるのでしょう。

そもそも、「エンジン」が無ければ、乗り物は、動かない。

そして、この「エンジン」の性能が、乗り物自体の性能を決定することになる。

 

第二次世界大戦、太平洋戦争で活躍をした「零式艦上戦闘機」、通称、「零戦」または「ゼロ戦」は、「世界の水準を凌駕した傑作戦闘機」という認識を持っている人が多いのだろうと思いますが、個人的には、その評価は「まやかし」だろうと思っています。

確かに、この零戦は、優れた旋回性能と、単発機としては、常識外れの航続力を持っていた。

しかし、それは、「軍用機」として、最も、重要であるはずの「人命」と「生産性」を引き換えにして得られたもの。

そもそも、欧米では、零戦のような戦闘機を作ろうという発想自体が、無いでしょう。

なぜなら、「人命」も「生産性」も考えない軍用機など、使用できないから。

 

なぜ、零戦が、そのような戦闘機になってしまったのか。

それは、「エンジン」に原因があります。

ちなみに、零戦が積んでいたエンジンは「栄」というエンジンで、約1000馬力。

そもそも、この馬力で、零戦のような性能を出すのは、不可能な話で、「人命」と「生産性」が度外視されたのは、海軍の要求である性能を出すためのもの。

 

零戦は、昭和15年に、実戦投入され、昭和20年の終戦まで、海軍の主力戦闘機として使用されます。

零戦の後継機が登場しなかったのは、「零戦が、あまりにも素晴らしかったので、後継機の開発が遅れた」と言われることもありますが、これは、誤りです。

なぜ、零戦の後継機が、終戦まで登場しなかったのか。

それは、零戦の後継機が搭載するための「エンジン」の開発が出来なかったから。

 

零戦が登場して間もなく、欧米では、2000馬力のエンジンを積んだ戦闘機が、主力機として登場して来ます。

しかし、日本では、この2000馬力を出すエンジンの開発が遅れた。

ようやく、量産にこぎつけた2000馬力のエンジンが「誉」ですが、この「誉」を積んだ海軍の戦闘機「紫電改」が登場をしたのは、ようやく、太平洋戦争の末期。

日本の技術力は、欧米に、遠く、及ばなかったということ。

 

ちなみに、当初、海軍は、零戦を、これほど長く、主力として使う考えは無かったようです。

零戦の開発が始まった頃、まだ航空母艦は、海軍の主力ではなかった。

その頃、艦上戦闘機の役割は、艦隊主力の決戦の時に、その海域の制空権を確保するというもの。

零戦が、常識外れの長大な航続力を持ったのは、出来るだけ長く、洋上にとどまるため。

そして、当時、また規格外だった20ミリ機関砲を搭載したのは、味方の主力艦の上空に飛来する敵の大型爆撃機を撃墜するためだったようです。

 

では、海軍は、零戦の後、何を、その後の主力機にしようと考えたのか。

 

それは、局地戦闘機「雷電」です。

海軍としては、零戦は、航空母艦に乗せるために使用し、基地の防空に、この「雷電」を主力として使うつもりだったよう。

 

 

 

しかし、この雷電の開発は、難航を極めます。

その理由の一つは、やはり「エンジン」でした。

 

開発が始まった当初、日本には、戦闘機が使う大馬力のエンジンがなく、雷電には「火星」という爆撃機用の1500馬力のエンジンを搭載することに決めます。

しかし、爆撃機用のエンジンは、正面の直径が大きい。

当然、空気抵抗が増し、速度を出すのに不利と考えられたため、雷電は、エンジンを通常よりも後方に載せ、機種の先端を絞り、強制冷却ファンで、エンジンを冷やすという方式をとりました。

そのため、エンジンとプロペラをつなぐ軸が長くなり、それが、大きな振動を引き起こしたよう。

この振動問題を解決するだけでも、一年以上の時間を費やしたそう。

 

雷電には、他にも、様々な不具合が重なり、完成は、遅れに遅れて、一時は、開発の見送りも考えられたようですが、ようやく、太平洋戦争の末期に、実戦に参加をすることになる。

しかし、その飛行特性や、操縦の難しさから、零戦に乗り慣れた搭乗員の多くは、雷電に乗ることを嫌ったよう。

 

飛行機と車の違いはありますが、このように、新しいものを開発するということは、相当な困難が伴う。

そもそも、期限を決めて、必ず、それを守れというのは、理不尽な話。

 

ちなみに、「零式艦上戦闘機」も「雷電」も、開発の途中で、テストパイロットが殉職をしている。

当時、まだ、未完成のテスト機に乗るテストパイロットは、まさに、命がけだったということですよね。

実際に、テスト機に乗るテストパイロット、そして、それを見守る開発者の人たちは、一体、どのような気持ちだったのでしょう。