倉敷市児島の「鴻八幡宮」に行ってみました。

この鴻八幡宮では、秋の例祭の時に、急な坂道を、多くの「だんじり」が登って行くのが有名で、地元のケーブルテレビでも、生中継がされています。

岡山県の「三大だんじり祭り」の一つで、岡山県の無形民俗文化財に指定されているそう。

 

こちら、正面の鳥居です。

その背後にある急な坂道が分かるでしょうか。

この坂道が、表参道だそうで、歩いて登るのも一苦労。

この坂道を、「だんじり」を引き上げて登るというのは、なかなか、辛いでしょう。

 

鳥居をくぐり、左手の石灯籠と狛犬。

石灯籠には「文政二年」の年号が。

狛犬は、かなり、風化が進んで、形の判別が難しい。

 

ことらは、右手。狛犬さんは、劣化のせいか、破損をしています。

 

参道を見上げる。相当に、急な坂道です。

 

参道を見下ろす。急な斜面が、よく分かります。

 

こちら、坂道を登り切ったところにある境内入口の立派な門。

 

門越しに、拝殿を望む。

 

こちら、拝殿です。

 

拝殿、左手にある「熊野神社」です。

 

拝殿、裏手には、明治天皇に関する、何かの碑がありました。

狛犬は、随分と、風化をして、形が、はっきりとしない。

 

拝殿、右手には「素戔嗚尊神社」があったようですが、老朽化と台風による被害で、社殿は、撤去をされたと掲示をされていました。

 

素戔嗚尊神社のあった場所から、本殿の方を望む。

 

境内から、児島の住宅地と海を望む。

 

振り返って、右が拝殿、左が、正面の門になります。

 

こちらは、鴻八幡宮の西側、下村川にあった常夜灯。

金刀比羅宮とあるのは、由加、金比羅の「両参り」で、ここを通る人たちのために設置をされたということなのでしょう。

明治十年の年号がありました。

 

さて、この「鴻八幡宮」について。

 

社伝によれが、大宝元年(701)に、宇佐八幡宮から勧請されたということですが、それは、定かではないということのよう。

建武3年(1336)の年号が入った一対の木製の獅子が、神社に伝わっているそうです。

後醍醐天皇の皇子、宗良親王が、「元弘の乱」で、鎌倉幕府によって讃岐国に流された時に、この神社に立ち寄り、戦勝を祈願。その後、鎌倉幕府が滅亡し、都に戻った宗良親王が、この神社に、獅子を寄進したそう。

本殿は、安永年間の建設だそうですね。

 

さて、この鴻八幡宮には「コウノトリ伝説」というものがあり、寛政年間に編纂された「吉備温故秘録」に、その話が収録されているそう。

かつて、この宮山には、コウノトリが群生していて、コウノトリの糞で社殿が汚れ、それに加えて、コウノトリの雛が居る時には、参詣を避けていたそう。

そして、神社の中には大蛇が住み着き、それを恐れて、参詣をしなくなったため、神社は荒れ果てたそう。

このことを憂えて、氏子たちが神に祈願をしたところ、神からのお告げがあり、神社の大蛇と、宮山のコウノトリが対決。

大蛇は、コウノトリの居る大木に登り、コウノトリと戦いましたが、多くのコウノトリが集まり、最終的に、コウノトリたちが、大蛇を殺したそう。

それから、この神社が「鴻の宮」と呼ばれるようになったという話。

そして、今の「上の町」「下の町」「田の口」「唐琴」の氏子地域は「鴻の郷」と呼ばれるようになったとか。

 

さて、どうも、この鴻八幡宮のある山は「甲山」と呼ばれ、そして、神社も「甲八幡宮」などと記されたものもあるようで、個人的な想像としては、元々、甲山にある神社なので「甲神社」だったものが、いつの頃か、縁起の良い「鴻」という文字に変えられたのかなとも思うところです。