昨日、僕の修学旅行でのトラブルの話をしましたが、数年前に、香川県の小学校の児童たちが、修学旅行で、瀬戸大橋の周辺海域を遊覧船で回っている途中に、水面下にあった岩礁に衝突。遊覧船に穴が開き、遊覧船は沈没。乗っていた児童たちは、海に飛び込み、たまたま、近くに居た漁船が、児童たちの救助に当たり、幸いにも、死者は出なかったという事故がありました。

僕の場合のトラブルとは、レベルの違う、大きな事故。

一歩間違えば、多くの死者が出る、大惨事になるところだった。

児童たちにとっては、忘れられない修学旅行になったでしょうが、恐怖の体験としてトラウマになっていなければ良いと思うところ。

 

さて、瀬戸大橋の近辺には、いくつもの島が浮かんでいますが、その島々は「塩飽諸島」と呼ばれます。

この塩飽諸島には、「塩飽水軍」と呼ばれる船乗りたちが居た。

この「塩飽水軍」の船乗りたちは、優秀な船乗りとして、全国的に名が知られていたようで、豊臣秀吉、徳川家康といった天下人たちは、彼らを直接、支配下に置いて、船乗りとして使っていたよう。

 

そして、塩飽水軍の船乗りたちは、水夫として、あの「咸臨丸」にも乗り込むことになる。

瀬戸大橋が完成をした当時、与島に、この瀬戸大橋周辺を回る遊覧船「咸臨丸」が運行されていました。

なぜ、瀬戸内に、咸臨丸なのか。

当時、不思議に思っていたのですが、この塩飽水軍の人たちが、咸臨丸の水夫をしていたという歴史に関連していたのだろうと、今となっては思うところ。

この遊覧船「咸臨丸」が廃止になる時、乗組員の人が、ローカルニュースのインタビューで「船乗りの仕事を続けるか、それとも、船に見切りをつけてて、丘に上がろうか、迷っている」と答えていたのを覚えています。

 

さて、この「咸臨丸」は、幕末、太平洋を渡り、サンフランシスコを往復したことで有名。

この咸臨丸の艦長を務めたのが、「勝海舟」です。

 

この勝海舟については、「好きな人」「嫌いな人」が、極端に別れる人で、勝海舟を「好き」な人は、勝海舟を絶賛し、勝海舟を「嫌い」な人は、勝海舟を酷評することになる。

 

咸臨丸艦長としての勝海舟について、有名な逸話が、いくつか。

 

一つは、「勝海舟は、航海中、船酔いで、ずっと艦長室に籠り、役に立たなかった」というもの。

これは、恐らく、勝海舟を「嫌いな人」が創作をした話で、史実ではないよう。

以下、「勝海舟」の人生を、公平で、客観的な視点から、詳細に記したこの本から、紹介をします。

 

 

確かに、勝海舟は、船酔いしやすい体質だったようで、長崎海軍伝習所で、船に乗り始めた当初は、相当に、船酔いに悩まされ、苦労をしたようです。

しかし、船上での訓練を続けるうちに、船酔いをすることは無くなったよう。

実際に、勝海舟は、長崎海軍伝習所で、何の問題もなく、船乗りをしての訓練を続けている。

また、咸臨丸での航海でも、復路では、問題なく、職務をこなしたよう。

また、サンフランシスコに到着をした後、勝海舟は、南米への航海も希望していたようですね。

船酔いで悩まされている人が、そのような長期の航海は望まないでしょう。

 

しかし、往路、勝海舟が、艦長室に籠りきりだったというのは事実のようです。

では、なぜ、勝海舟は、往路、咸臨丸の艦長室に籠りきりという状況になってしまったのか。

どうも、勝海舟は、咸臨丸出航の少し前から、何かの病気にかかっていたようです。

そして、本来なら、とても、航海に耐えられる状況ではなかったのですが、「死んでも良いから、一度、この目で、アメリカを見たい」という強い思いから、咸臨丸に乗り込んだようです。

そして、案の定、出向直後に、ベッドから起き上がることも出来なくなってしまった。

この「病気」を「船酔い」にすり替えたのは、「船乗りなのに、船酔いに弱い」というイメージで、勝海舟をおとしめようとする、意図的なものでしょう。

 

そして、もう一つは、咸臨丸がサンフランシスコに入港をする時、ある乗組員が「祝砲を撃つ」と言ったところ、勝海舟は「上手く撃てなくて、恥をかくから止めておけ」と言ったということ。

しかし、その乗組員は「どうしても撃ちたい」というので、勝海舟は「上手く撃てたら、自分の首をやる」と言ったそう。

そして、その乗組員は、見事に、祝砲を撃ってみせて、勝海舟の鼻を明かし「あなたは艦長なので、その首は、帰るまで預けておく」と言ったとか。

 

これもまた、史実ではないよう。

そもそも、咸臨丸が、サンフランシスコ入港の時に、祝砲を撃ったという記録は、無いようです。

 

個人的に、勝海舟は歴史上、好きで、関心を持っている人物の一人。

勝海舟を嫌いな人が、勝海舟を酷評するのは仕方が無いことですが、「事実」ではないことを持ち出し、酷評をされるのは、あまり、気分の良いものではないところです。