玉野市滝にある「早瀧比咩神社」に行ってみました。

 

正面入り口です。

 

この早瀧比咩神社の周辺の山は「早瀧自然公園」として、散策が出来るようになっています。今日は、その自然公園を歩いてみようと思って来たのですが、かなり広いようなので、またの機会に。

 

鳥居手前、左手に、このようなものが。

左の看板には、早瀧比咩神社の由緒と経緯が書かれていました。

大宝元年(701)3月15日、紀州熊野の12社の一つを勧進したと書かれていますが、ネットの情報を見ると、その根拠はないという話。

ちなみに、今の拝殿の背後にある本殿は、元禄年間に、岡山藩主、池田綱政によって再建されたものと書かれていました。

 

鳥居には、文字が書かれていましたが、風化をして読むことは出来ませんでした。

左には、特徴的な大きな岩があります。

 

岩の前には、説明版が設置されていました。

この神社の近辺には、このような巨岩、奇岩が多くあり、この岩も、その中の一つ。

そして、早瀧自然公園は、このような巨岩、奇岩を巡るものでもあるようです。

 

別の角度から。ちなみに、この岩には「龍岩」と名前がつけられているようです。

 

正面、社殿です。

 

右手には、このような、綺麗な池が。

鯉が泳いでいて、噴水もあります。

 

池の近くには、このようなものが。

左の石碑には「一千二百年記念碑」と書かれていたようです。

 

さて、こちらが拝殿。

 

 

拝殿の右側に、このような説明版がありました。

これは、おそらく、この神社に保存をされているのであろう「懸仏基板」とよばれるものの説明でした。

説明版の背後にある、一番、左側の写真が、その「懸仏基板」のようです。

ちなみに、その隣にある一連の写真は、早瀧自然公園で見られる岩や川などの見所の説明の写真のようです。

 

 

角度を変えて。

 

こちらは、社殿前にある右手の狛犬と石灯籠。

狛犬の台座には「文久三年」の文字がありました。

 

こちらは、左手の石灯籠と狛犬。

 

神社の右手には、このような細い川があります。

この川の上流に「一の滝」「二の滝」「三の滝」という場所があり、おそらく、それが「滝」という地名の元になったのでしょう。

しかし、今では、岩が崩れ落ちてしまっていて、滝としての面影は、あまり見られないということのよう。

 

 

さて、早瀧比咩神社に向かう途中、道を歩いていると、川の中に、このようなものが。

一体、何のために、このようなものが設置をされたのでしょう。

 

 

こちらは、滝地区から、荘内地区を流れ、児島湖に注ぐ、鴨川です。

荘内地区の鴨川は、整備が進み、昔の面影は無くなってしまいましたが、滝地区では、まだ、昔の川の様子が残っているようですね。

個人的には、懐かしいところです。