樋口一葉の短編小説「うつせみ」。

 

ある貸家に、急遽、ある人が、人目を忍んで、やって来る。

それは、雪子という若い女性。

彼女は、精神を病んでいた。いわゆる「気がふれた」女性。

 

彼女が「気がふれた」原因は、植村という愛する人が、自殺をして亡くなったため。

なぜ、植村が自殺をしたのかと言えば、雪子には、正雄という許嫁が居たから。

 

雪子は、植村が自殺をしたのは、自分のせいだと思い込み、精神を病むことになった。

そして、その貸家で、「気がふれた」雪子と、その雪子の看病をする両親、正雄、使用人たちの姿が、小説の中では、描かれる。

 

両親は、家が名家であることもあり、世間体を気にして、雪子を医者にも診せず、社会からも隠し、自分たちで必死に看病をし、ただ、雪子の精神が回復をするのを祈るだけ。

恐らく、樋口一葉が、この小説を書いた明治の時代、精神的な病というものは、その原因が分からず、治療法も無かったのではないかと想像をします。

世間からの偏見も強く、精神を病んでしまった本人や、その家族もまた、偏見の目で見られたのかも知れない。

 

この小説では、雪子を貸家で、必死に看病をする様子が描かれるだけで、雪子が精神を病むことになった原因は、具体的に書かれない。

それは、雪子が話す言葉、看病をする両親が話す言葉などから、読者が推測をすることになる。

 

 

 

さて、この「精神的な病」について。

 

アメリカの例を見ても、この「精神的な病」になってしまった人。

まだ、その原因も、治療法も分からない時代には、かなり悲惨な状況に置かれていたようですね。

いわゆる「精神病院」に入れられる訳ですが、その環境は、劣悪だったよう。

精神病院に入れられた患者たちは、人間扱いをされなかった。

 

それは、アメリカの映画の中でも、見られるもの。

例えば、ジャック・ニコルソン主演の「カッコーの巣の上で」とか、クリント・イーストウッド監督の「チェンジリング」などにも、精神病院の中の悲惨な状況が登場します。

 

そこで、登場するのが「ロボトミー手術」というもの。

 

これは、人間の脳の一部を、意図的に破壊することで、精神の安定を得るというもの。

これは、この「精神的病」の画期的な治療法として、ノーベル賞も受賞している。

しかし、この「ロボトミー手術」は、その手術を受けた人の「人間的感情」や、何かをしようという「意欲」を奪ってしまうようで、今では、「非人道的」ということで、禁止をされている。

 

映画「カッコーの巣の上で」では、最後、このロボトミー手術を強制的に行われたジャック・ニコルソンが、人間としての感情、意欲を失ってしまった姿が描かれる。

 

悲しい話です。