俳優の大杉連さん。
ドラマ「バイプレイヤーズ2」の撮影中に、急に亡くなってしまいましたが、この大杉連さんの映画での遺作になったのが「教誨師」です。
なかなか、良い映画でした。
この「教誨師」とは、何なのか。
教誨師とは、キリスト教の聖職者、仏教の僧侶などが、ボランティアで、死刑囚と定期的に面会し、話をする仕事をする人のこと。
死刑囚の方から、どういう教誨師と話がしたいのかを選び、望んで、話をすることになる。
様々な宗教、宗派の教誨師の人が居るようですが、なかなか、大変な仕事です。
映画「教誨師」で、大杉さんが演じていたのは、キリスト教の牧師でした。
そして、この映画「教誨師」を見て、教誨師について、もっと知りたいと思い、読んだのが、この本です。
この本は、著者が、実際に、長年、教誨師を務めていた僧侶の人から話を聞いて、書いたものです。
教誨師という人が務める現場の状況は、かなり、厳しいもの。
僕だったら、とても、耐えられない。
内容は、非常に、重いもので、多くの人に読んで欲しいとは言えませんが、多くの人が、こういう現状があるということを知るのは、必要なことなのかも。
日本には「死刑」という制度があります。
そして、この「死刑」の是非が、長年に渡って議論をされていますが、未だに、結論は出ない。
この「死刑」についての、議論を、いくつか。
一つは、単純に、「死刑」という制度は、残酷だというもの。
先進国で、こういう制度があるのは「野蛮だ」という理論。
一つは、もし冤罪の場合、死刑が執行されてしまうと、取り返しがつかないということ。
今、大きな問題になっている袴田事件の再審問題や、名張毒ぶどう酒事件では、「冤罪の可能性が高い」と世間で言われ続け、死刑が確定した死刑囚は、何十年も、刑務所の中に置かれ続け、死刑が執行されることなく、獄中で、病死をした。
一つは、もし、愛する人が、残虐に殺された時、その遺族は、愛する人を無残に殺した相手が、その後の人生を、のうのうと生きて行くことを許すことが出来るのかという感情の問題。
もっとも、相手が、真摯に反省をし、人を殺したことを一生、悔いて生きるというのなら、許すことも出来るかも知れない。
しかし、相手は、刑期を終えたとしても、人を殺したことなど忘れ、その後の人生を、楽しく、おうかしているかも知れない。
そう考えると、相手が生きてることは、許せないという気持ちにもなる。
これらは、犯罪の、被害者、加害者に関わるもの。
しかし、もう一つ、「死刑」には、全く、別の問題がある。
それは、「死刑」という制度に関わる人たちの問題です。
教誨師も、その中の一人。
そして、死刑を執行することになる刑務官の人たち。
彼らの問題は、今、ここで、詳しくは書けません。
あまりにも、重すぎます。
さて、この本の中で、特に、印象に残ったもの。
女性死刑囚が、刑の執行の直前に、「もう一日だけ、待ってもらうことは出来ませんか」と言ったそうです。
やはり、誰しも、死にたくはない。
そして、教誨師は、その現場にも、立ち会わなくてはならない。
それだけでも、とても、辛いことです。