今朝の空。
雲が、赤く、照らされていました。
藤井海岸から、空を見る。
何となく、奇妙な感じですよね。
気象について、科学的な知識の無い、昔の人なら、このような空を、どう見るのでしょう。
さて、この「気象」というもの。
人が生活をして行く上で、とても、重要なものなので、恐らく、人間が文明社会を築いてから、延々と、研究は、されていたのだろうと想像します。
しかし、この「気象」の研究の歴史というのは、目にした記憶がない。
今でも、気象予報というものは、必ずしも、当たるものではない訳で、やはり、研究というものは、長い歴史の中で、全く、進まなかったのでしょうかね。
農業にしろ、戦争にしろ、何時、どこが、どのような気象になるのか。
とても重要なことなのでしょうが、やはり、経験則に頼るしかなかったのでしょうかね。
特に、大海原に乗り出す大航海時代など、船乗りたちは、どうやって、荒天を避けていたのか。
さて、ここで、この「荒天」に翻弄された、幕末、戊辰戦争の時の「榎本艦隊」について、ウィキペディアから、紹介をしようと思います。
慶応4年(1868)1月2日、徳川艦隊を率いて大阪湾に居た榎本武揚は、薩摩藩の船を砲撃。
1月4日、薩摩藩の船を相手に、阿波沖で海戦。
1月7日、大坂に上陸し、榎本は、大坂城に入りますが、入れ替わりに、徳川慶喜は、開陽丸に乗り込み、江戸に向けて出港します。
榎本は、大坂城に残された武器、弾薬、金子などを艦隊に積み込み、12日に、大坂を出港、15日、江戸に帰還。
4月11日、江戸城の無血開城に伴い、徳川艦隊の新政府への引き渡しを要求されますが、榎本は、これを拒否。品川沖から、館山に、艦隊を率いて、脱走します。
4月17日、勝海舟の説得を受けて、榎本は、品川沖に戻り、富士山丸、朝陽丸、翔鶴丸、観光丸の四隻を、新政府に引き渡す。
5月24日、徳川宗家の駿河、遠江への移封が決定。榎本は、旧幕府の脱走兵らと協力をして、活動を開始する。
8月15日、徳川家達の駿府への移封が完了するのを見届けると、19日、榎本は、艦隊と共に、江戸を脱走する。この時の艦隊は、開陽丸、回天丸、蟠竜丸、千代田形、神速丸、咸臨丸、美賀保丸、長鯨丸の八隻。
しかし、榎本艦隊は、房総沖で、暴風雨に巻き込まれて、散り散りに。
咸臨丸、美賀保丸の二隻を失い、八月下旬頃、宮城県にある寒風沢島に、残りの艦が、順次、到着。
9月2日、榎本は、同行したフランス人士官らと共に、仙台藩主、伊達慶邦に謁見。
しかし、9月12日、仙台藩は、新政府に降伏。
榎本は、幕府が仙台藩に貸していた太江丸、鳳凰丸を艦隊に加え、旧幕府脱走兵らを収容し、10日9日、仙台から石巻に移動。
10月12日、石巻を出港。宮古湾での補給の後、蝦夷地に向かう。
10月20日、蝦夷地、鷲ノ木に榎本軍が上陸。
10月26日、五稜郭を占領。
この頃、秋田藩の高雄丸が、箱館が、榎本軍に支配下にあるとは知らずに寄港し、拿捕される。
11月1日、榎本、五稜郭に入る。
しかし、江差攻撃のために、支援に向かわせた開陽丸が、暴風雨のため、座礁し、沈没。榎本は、最強の艦隊旗艦を失うことになる。
12月15日、蝦夷地平定を宣言し、榎本は、総裁となる。
「宮古湾海戦」
明治2年(1869)3月21日、回天丸、高雄丸、蟠竜丸の三隻が、宮古湾に向けて出港。高雄丸、蟠竜丸で、新政府軍の甲鉄艦を挟み撃ちにし、回天丸が、それを援護。甲鉄艦を奪い取ろうという作戦です。
しかし、暴風雨に巻き込まれ、三隻は、散り散りに。
24日、回天丸と高雄丸は、合流するが、高雄丸が機関を損傷をしていたため、修理のため、山田湾に入港。
蟠竜丸との合流を諦め、作戦は、回天丸、高雄丸の二隻で、実行することに。
25日、高雄丸は、再び、機関に故障を起こし、脱落。
回天丸は、単独で、宮古湾に突入。新政府軍の甲鉄艦に、体当たりの末、乗っ取り作戦を実行するが、失敗し、撤退。
回天は、撤退途中に蟠竜丸と出会い、26日、箱館に。
ちなみに、この宮古湾海戦の時、後の連合艦隊司令長官、東郷平八郎は、新政府軍の春日丸に、砲術士官として乗っていたそう。
4月9日、線政府軍が、蝦夷地、乙部に上陸。
5月11日、新政府軍、箱館を総攻撃。機関故障の回天丸は、浮き砲台として応戦。蟠竜丸は、孤艦で奮闘し、新政府軍の朝陽丸に命中弾を当て、轟沈させる。
その後、新政府軍の集中砲火を浴びながらも、弾薬の尽きるまで奮戦し、浅瀬に座礁。乗員は、機関を破壊して、脱出する。
以上、戊辰戦争、榎本艦隊の活躍です。
やはり、気象に悩まされ、暴風雨で、次々と艦を失うことになる。
特に、旗艦、開陽丸の沈没と、宮古湾海戦の失敗が、大きな痛手でしょう。
また、日本近海の海図や、潮の流れ、海底地形なども、詳しくは分かっていなかたのでしょうから、艦隊の運行には、相当の困難が伴ったのではないでしょうかね。
やはり、艦を動かす技術だけでは、安全な航海は、難しいものと思います。