さて、玉野市荘内地区から由加山に登る道は、県道、玉野福田線ということになるようですが、この道路、僕が子供の頃には、まだ、無かったんですよね。

だから、荘内地区から、由加神社、蓮台寺にお参りに行こうと思えば、滝、永井から児島の田の口に抜ける峠の方に回り、そこから、由加神社、蓮台寺に向かう道に入らなければならなかった。

しかし、地図を見ると、当時も、荘内地区から由加山に登る県道、玉野福田線は、存在していて、その道が、どこにあるのだろうかと、一度、自転車で走ってみたことがあります。

すると、途中は、車が、とても通ることが出来ない登山道のような道になっていて「これが、県道か」と、驚きました。

実は、「県道」とか「国道」というのは、「県」や「国」が管理をしているというだけの話で、必ずしも、車が通れる立派な道ばかりではないということは、大人になってから知ったこと。

とても、人が通ることも出来ないような「国道」が、「酷道」などと言って、今では、面白く、テレビで紹介されたりもしていますよね。

 

さて、今、車で、荘内から由加山に登っていると、かつて県道だった道沿いに、何かの「お堂」のようなものがあり、気になっていました。

散歩がてら、琴浦北小学校の前にある駐車場に車を置き、歩いて、行ってみる。

 

これが、その、お堂です。

中を見てみると、弘法大師を祭った「大師堂」でした。

 

お堂の右側には、「弘法大師」と書かれた石と、古いお地蔵さんが、二体。

 

左側には、遍路石と、手を洗うための水を溜めておくためのものであろう石が置かれています。

 

お堂の屋根の下には、弘法大師の絵と、何らかの説明が掲げられていました。

恐らく、この奥のお堂の中には、弘法大師の像があるのだろうと想像しますが、確認をすることは出来ませんでした。

 

さて、この大師堂の少し上に「坂手神社」という神社があるようなので、そこにも行ってみました。

 

こちら、坂手神社に向かう鳥居です。

 

鳥居をくぐると、古い狛犬と、石灯篭があります。

 

こちらが、拝殿のようです。

 

拝殿のある境内から、登って来た方を振り返る。

古い、小さな石灯籠には、「明治」の年号があったようです。

 

 

坂手神社の前には、今でも、耕作が続けられている小さな棚田がありました。

かつて、このような景色は、日本では、よく見られたのでしょう。

もっとも、近くには、すでに耕作を放棄されて、随分と時間が経ったような棚田の跡もありました。

随分と、山の奥。住人も減り、田の耕作も出来なくなってくるのでしょう。

 

さて、坂手神社の、少し上に、このような鳥居があります。

「由加権現」と書かれているようなので、恐らく、由加神社、蓮台寺に向かうための道だったのでしょう。

そして、鳥居には「文化」の年号がありました。

昔、荘内方面から由加にお参りに来る人は、この道を歩いたのかも。