日本の仏教書の中で、「歎異抄」は、もっとも、有名なものなのではないでしょうかね。

この「歎異抄」の「歎異」とは、「異説を嘆く」という意味。

著者は、「唯円」という人物だというのが、一般的。

この「唯円」とは、関東に住んでいた親鸞の弟子。

 

 

 

 

 

なぜ、唯円が、「歎異抄」を書こうと思ったのか。

それは、当時、親鸞の「教え」とは異なる「教え」が、世間に広がっているのを憂えたため。

唯円は、自分が、師の親鸞から、直接、聞いた言葉と共に、この「異説」を正そうという意図で、この「歎異抄」を書いたよう。

 

さて、親鸞は、法然の弟子です。

今では、親鸞と言えば「浄土真宗」の祖ということになっていますが、親鸞本人は、あくまでも、法然の弟子であり、法然の「教え」を信じ、その「教え」を突き詰めようと努力をしただけ。

 

この法然の「教え」は、「専修念仏」というもので、「南無阿弥陀仏」と「念仏」を、口で唱えれば、誰もが、極楽浄土に往生できるというもの。

この教えは「易行」と言われ、誰もが実践をすることが出来る、簡単なもの。

そのために、広く、この「教え」が広まった訳ですが、「簡単」であるが故に、いくつかの問題を抱えることになる。

 

最も、有名で、簡単なのが「一念義」と「多念義」の対立です。

 

「一念義」とは、「本当に、阿弥陀仏の本願を信じる心があれば、念仏は、一度、唱えるだけで十分だ」というもの。

しかし、これには、「たった、一度だけ、念仏を唱えるだけで、本当に『信心』があると言えるのか」という問題がある。

 

「多念義」とは、「出来るだけ、数多くの念仏を唱えるのが、本当の信心だ」というもの。

しかし、この「出来るだけ多く、念仏を唱える」という考えは、結局、阿弥陀仏を頼るという「浄土門」の「他力本願」ではなく、「聖道門」と同じ、「自力救済」なのではないかという問題が生まれる。

 

法然の考えとしては、「ただ、一度、念仏を唱えるだけでも、阿弥陀仏の本願によって浄土に行くことが出来るという考えで、出来るだけ、多くの念仏を唱えるべきだ」というのが、正しいもののように思います。

それは、法然の書き残したものを読んでも、そのように書かれているようで、法然自身は、とにかく、出来るだけ、多くの念仏を唱えることを重視していたよう。

しかし、法然の「浄土宗」は、この「一念義」を重視する派と、「多念義」を重視する派に分かれることになる。

ちなみに、親鸞は、「一念義」を重視することに。

 

また、他には、「念仏を唱えれば、極楽浄土に往生できるのなら、念仏さえ唱えていれば、どのような悪事を働いても良い」という極端な考えをする者も居たよう。

これは「歎異抄」では「本願ぼこり」と言って、批判をしています。

 

さて、この「歎異抄」は、非常に有名であるため、多くの人が、手にして、読んだことがあるのではないでしょうかね。

なぜ、他の仏教書に比べて、「歎異抄」が、広く、親しまれているのかと言えば、一つは「短く、読みやすい」こと。

この「短く、読みやすい」というのは、重要なのではないでしょうかね。

いかに、優れた仏教書でも、「長大なもの」「読みづらいもの」は、とても、手にする気にはなれない。

 

そして、もう一つの理由は、唯円が、直接に聞いたという「親鸞の言葉」が、記されているためではないでしょうか。

もっとも、弟子が、師匠である名僧の言葉を記した本や、第三者が、名僧の言動を記した本というものは、他にも、いくつもある。

例えば、禅の曹洞宗の道元の言葉を、弟子の懐奘が記した「正法眼蔵随聞記」という本があり、こちらもまた、なかなか、面白いのですが、「歎異抄」ほど有名ではなく、広く読まれているという訳ではないのでしょう。

 

これは、なぜ、なのか。

 

これは、個人的な印象ですが、やはり、いわゆる「名僧」「高僧」の言行録は、「悟りを得た優れた僧」が、「迷える民衆を導く」という傾向が強い。

これは、これで、悪いことではなく、読んでいても、面白いし、為にもなる。

しかし、読んでいる人に「とっつき憎さ」を感じさせることも事実でしょう。

 

しかし、親鸞の場合、親鸞自身が「迷える民衆」の立場で話をしている。

 

親鸞自身が、自分の「迷い」や「苦しみ」を隠すことなく、素直に、話す言葉が、「歎異抄」には記されている。

 

これが、「歎異抄」を読む人に、大きな共感を与えるのではないでしょうかね。

今、何か、「迷い」や「苦しみ」を抱える人が、この「歎異抄」を読めば、親鸞の言葉に、大きく、癒されることになるのではないでしょうか。

だから、この「歎異抄」が、多くの人に読まれることになるのでしょう。

 

親鸞自身、大きな「迷い」や「苦しみ」から、どうしても抜け出すことが出来ず、その中で出会ったのが法然の教えで、この法然の「専修念仏」そして「他力本願」に、自分自身の全てを賭けることになる。

そして、恐らく、親鸞は、その後も、ずっと、悩み続け、悩みながらも、法然の教えを絶対的に信じようとし続けた。

親鸞は、決して、「悟りを得た高僧」という訳ではなかったのでしょう。

だから、今、多くの迷える人たち、悩みを抱えた人たちが、親鸞の言葉に救われることになる。

 

ちなみに、この親鸞と同じく、常に、悩める人たちと同じ立場で生き続けた名僧が、江戸時代の「良寛」です。

この「良寛」については、また、別の機会に。