日本にもまた、「一神教」に近い考え方の宗教があります。

それは、「阿弥陀仏」を信仰する「浄土宗」という宗教。

この「浄土宗」の開祖が、「法然」ということになる。

法然は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて生きた人物。

 

法然は、美作国に生まれますが、幼い頃に、父を殺され、出家をし、比叡山で学びます。

そして、43歳の時に、「南無阿弥陀仏」と「念仏」を唱えれば、極楽浄土に往生することが出来るという「浄土宗」を開くことになります。

 

実は、この法然の生み出した「ただ、念仏を唱えれば、誰もが、極楽浄土に往生できる」という教えは、日本の仏教の中では、革命的な出来事で、多くの人が、法然の「浄土宗」に帰依することになります。

 

それまで、日本の仏教は、「国家」のもの、そして、お寺や僧に多くの寄付が出来る富裕層や、高貴な人のためのもので、一般庶民には、縁の無いものでした。

しかし、法然は、「全ての人が、救われる教えはないものか」と、ひたすら、勉強を続けます。

そこで、出会ったのが、中国の浄土教の僧だった善導という人物の教え。

これは、「ただ、『南無阿弥陀仏』と、念仏を唱えれば良い」という「称名念仏」と呼ばれる教えでした。

 

法然以前、日本で「念仏」といえば、「仏様の姿や、仏様の居る浄土の様子を頭の中に思い浮かべる」というのが、一般的だったようですね。

しかし、それは、一般庶民に、容易に出来ることではない。

しかし、ただ「南無阿弥陀仏」と、言葉を唱えれば良いんだ、と、言う「称名念仏」の教えを、法然は知ることになる。

これならば、貧しい人も、日々、生きることで精一杯の人も、全ての人が、実践をすることが出来る。

 

ただ、念仏を、口で唱えるだけで良いという法然の教えは「専修念仏」と呼ばれるもの。

この「専修念仏」の教えが、具体的に、どのようなもので、他の仏教の教えと比較をして、どのように優れているのか。

その内容を、法然自身が、関白、九条兼実の要請によって記したのが「選択本願念仏集」という書物です。

 

 

 

法然の教えが、爆発的に、人々の信仰を受けるようになったのは、やはり、日本には、古来から「人は、亡くなると、あの世に行く」という考えがあったため。

当時、人々には、「自分の死後、自分は、どうなるのか」というのは、切実な問題だった。

特に、「自分が、地獄に行く」ということは、どうしても、避けなければならないこと。

そのため、裕福な貴族などの権力者は、「浄土」を模した豪勢なお寺や、立派な仏像を作ったりしている。

そして、「往生要集」などの書物を読み、どうすれば、自分が、極楽に行くことが出来るのかということを、真剣に考えていた。

そこに、法然の「専修念仏」の教えが登場することになる。

誰もが、この教えに魅かれない訳がない。

 

また、世の中には、お釈迦様の教えが無くなってしまうという「末法思想」が広がり、武士の台頭で、戦乱が目の前に現れている。

 

自分の生活や、将来に、不安や恐れを持たない人など、居なかったのではないでしょうかね。

 

この法然によって生まれた「専修念仏」という教えは、後の世にも、大きな影響を与えることになる。

 

 

法然自身が書いた「手紙」には、その教えが、誰にでも、分かり易く、書かれていて、とても、読みやすいです。

「選択本願念仏集」は、なかなか、ややこしく、分かり辛いので、法然の教えに興味のある人は、こちらを読んだ方が良いのではないでしょうか。