「映像の沖田総司」という本があります。
僕が、新選組の本を色々と読んでいた30年ほど前に、恐らく、古本屋で見つけて、購入し、読んだ本ですが、この本、他の新選組関連の本と違い、とても、面白かった。
もう、30年も前のことなので、記憶が確かでない部分もあり、もしかすると、当時、読んだ、他の本の記憶も混ざっているかも知れませんが、その記憶を元に、本の内容の紹介をします。
この本の内容は、タイトルの通り、映像作品に登場をする新選組の事に関して、書かれています。
つまり、「新選組」という幕末に活躍をした組織が、明治以降、どのように世間で語られて来たのか。
その「新選組に対する世間のイメージの変遷」が、この本の内容のテーマです。
この「新選組」という組織は、幕末、京都で、主に、尊皇攘夷過激派を相手に、最前線で剣を振るって活躍をした組織です。
最も、有名のは「池田屋事件」で、この時、尊皇攘夷派の大物だった宮部鼎三や、吉田稔磨といった人物が、新選組によって殺害されます。
当然、尊皇攘夷派、特に、長州藩の人たちにとって、新選組は、「悪の権化」のような存在で、仇敵です。
また、幕末、坂本龍馬を殺害したのも新選組という認識があり、土佐藩の人たちからも、大きな怨みを買っていたものと思われます。
皇国史観が強く、薩摩、長州、土佐の出身者たちが、政治をリードしていた明治時代、当然、「新選組」は、「正義の志士」を殺害する「悪役」として世間では語られていました。
しかし、時代の流れと共に、この「新選組」の世間のイメージも、変化が生まれることになります。
それは、「鞍馬天狗」という物語に登場する新選組に現れます。
この「鞍馬天狗」とは、勤皇の志士の活動を助ける、謎の剣士のことで、小説が始まったのが、大正13年。
この「鞍馬天狗」は、小説は昭和40年まで書かれ続けた大人気作品で、その間、何度も、映画化、ドラマ化をして、嵐寛寿郎が主演をしたことで有名。
勤皇の志士の前に立ちふさがる新選組を相手に、鞍馬天狗は戦うことになる訳ですが、この時、局長の近藤勇が、クローズアップされることになります。
この「鞍馬天狗」に登場する近藤勇は、「男らしさ、男気を備えた一角の武士」として、鞍馬天狗の好敵手というキャラクターで登場をするよう。
つまり、「新選組」が、単純な「悪役」ではないという兆しが、ここから見えることになる。
そして、昭和3年に、作家の子母澤寛が「新選組始末記」という本を出版する。
これは、昭和4年の「新選組異聞」、昭和6年の「新選組物語」と合わせて「新選組三部作」と呼ばれ、この三冊は、実際の史料や、実際に、新選組を知っている人からの「聞き書き」という形式を取っていて、「新選組」という組織を「史実」から捉えようという世間の動きのきっかけになったよう。
また、歴史家の平尾道雄もまた、同時期に、新選組を研究した本を出版し、こちらもまた、新選組の実像を探ろうという動きのきっかけとなったよう。
(もっとも、子母澤寛の「新選組三部作」は、今では、ほぼ、フィクションだということが分かっている)
そして、昭和37年から連載の始まった「燃えよ剣」、同時期に書かれていた連作短編の「新選組血風録」という司馬遼太郎の二つの新選組をテーマにした小説が、劇的に、世間の「新選組」のイメージを変えることになる。
司馬遼太郎さんは、「新選組」を、日本で最初の「近代的組織」と高く評価をしている。
そして、この「新選組」を実際に組織し、実質的にコントロールしていたのは、局長の近藤勇ではなく、副長の「土方歳三」だとしている。
そして、近藤勇、土方歳三、沖田総司の三人を「友情」という関係で結ぶことになる。
これは、恐らく、今、新選組ファンの人たちが持っているイメージと合致しているのでしょう。
つまり、今、世間の人たちが「新選組」と言って思い浮かべるのは、司馬遼太郎さんが「燃えよ剣」「新選組血風録」の二冊で描いた「新選組」のイメージに他ならない。
そして、この司馬遼太郎さんの二作は、テレビ時代劇として放送され、結束信二さんが脚本を書いたこの時代劇は、傑作と評価が高いそう。
そして、このテレビ時代劇で、島田順司が演じた「沖田総司」が大人気となり、一大新選組ブームが世間に起こったそう。
沖田総司のお墓には、ファンが大量に、墓参りに訪れたという話。
確か、その後、一般の人は、墓地には立ち入り禁止となったのではなかったですかね。
ここから、恐らく、「新選組」=「悪」というイメージは、世間で払拭され、「新選組」は、多くのファンを持つ、歴史上の人気グループということになる。
中でも、「土方歳三」「沖田総司」は、屈指の人気者となる。
そして、「沖田総司」と言えば、「若手の二枚目役者」が演じるのが、定番となる。
今でも、この司馬遼太郎が作り上げた「新選組」のイメージは、世間に根付き、あまり、変化が無いのではないでしょうかね。
もっとも、この司馬さんの「新選組」のイメージが「間違っている」という確かな根拠が無い限り、それは、悪いことではない。
個人的には、「本当に、新選組を支配していたのは土方歳三だったのか」ということには疑問がある。
局長である近藤勇の、新選組における立場は、どうだったのか。
土方歳三と近藤勇の、本当の関係は、どうだったのか。
実質的に新選組を支配していたのは近藤勇と土方歳三の、どちらだったのか。
そもそも、新選組の組織は、誰が、作り上げたのか。
などなど。
また、少し余談ですが、この「沖田総司」という人物は、肖像画、写真を、一枚も残していない。
そのため、どのような容姿をしていたのか、全く、不明のようですね。
本当に「二枚目」だったのでしょうか。
ちなみに、「土方歳三」は、写真を残しているので「二枚目」だったことに間違いはない。
京都では女性にも、相当にモテたようで、地元に自慢の手紙を送っているのも、面白いところ。