さて、「幕末政治家」で、徳川幕府には、優秀な政治家、官僚が揃っていたこと。

そして、幕末の政治の混乱の一因が「尊皇攘夷運動」にあることを書きましたが、もう一つ。

幕末の政治の流れを混乱させた原因に「徳川慶喜」という人物の存在があります。

幕末の政治の流れは、「欧米列強からの圧力に、どう対処をするのか」という問題と並行して、「徳川慶喜」という人物を、どう扱うのか。

そして、「徳川慶喜」が、どのような行動をしたのか、と、言うことが、政治の流れの中心にあります。

 

司馬遼太郎さんもまた、徳川慶喜を主人公に、小説を書いています。

 

 

昔、読んだのですが、あまり、ピンと来なかった。

なぜ、ピンと来なかったのかと言えば、「徳川慶喜」という人物の個性に、原因があるのだろうと思います。

 

 

この本は、とても、分かり易く、面白い。

この本を読んで、「徳川慶喜」が、どのような人物なのか、何となく、イメージが沸いたところです。

 

徳川慶喜は、水戸藩の藩主、徳川斉昭の七男として生まれます。

子供の頃から、「英明」な人物として評判で、周囲の人たちの厚い期待を受けて成長をします。

そして、将来の将軍候補として、御三卿の一つ「一橋家」に養子に入ります。

他家から、御三卿に養子に入るのは、異例中の異例なことだったそうです。

 

第12代将軍、徳川家慶は、嫡男の家定が、何らかの障害を持っていたこともあり、慶喜を次の将軍にとも考えていたようですが、それは、実現しなかった。

そして、家慶の死去によって、家定が第13代将軍になる訳ですが、その直後から、徳川慶喜を第14代将軍にという動きが、現れ始めることになる。

この徳川慶喜支持派を「一橋派」と呼びます。

一方では、紀州藩の藩主、徳川慶福を次期将軍にという勢力もあり、これを「南紀派」と呼びます。

この「一橋派」「南紀派」の激しい争いが、外交問題と共に、繰り広げられます。

そして、徳川幕府の大老に井伊直弼が就任したことで「南紀派」が勝利。

そして、井伊直弼による「安政の大獄」で、徳川慶喜自身を始め、多くの「一橋派」の人たちが、弾圧を受けることになる。

 

そして、第14代将軍に、徳川慶福、改名をして徳川家茂が就任。

しかし、その頃、尊皇攘夷運動が最盛期を迎え、天皇の命令である「勅命」を盾に、幕府に圧力をかけ始めることになる。

そして、尊皇攘夷派の圧力で、徳川慶喜は「将軍後見職」に就任。

ここから、徳川慶喜の政治活動が始まる訳ですが、この徳川慶喜の政治活動がまた、政治の混乱に拍車をかけることになる。

 

徳川慶喜という人物は、幼い頃から「英明」という評判の通り、その、優れた弁舌と行動力で、政敵を圧倒し、思いを実現する能力を持っていた。

しかし、どうも、徳川慶喜には、政治的な「信念」というものが無かったようで、言っていること、やっていることが、ころころと変化をしてしまう。

それは、徳川慶喜自身が「自分は、幕府の代理であり、幕府を守らなければならない」という意識を持っていたことも、一つの原因でしょう。

つまり、幕府を守るための行動として、自分の真意とは違う行動を取らざるを得なかったという面もある。

しかし、それが、幕府からの信頼を得たのかと言えば、そうではなく、幕府の首脳たちもまた、徳川慶喜に不信感を募らせることになる。

それは、薩摩藩や、越前藩の松平春嶽なども同じで、徳川慶喜は、活動をすればするほど、周囲に不審を生むという、複雑な立場にあった。

 

そして、徳川慶喜は、第15代将軍に就任をすることになる訳ですが、この頃、すでに、徳川慶喜が、幕府を立て直すには、時期が遅すぎた。

しかし、当時、倒幕に向けて活動をしてた薩摩藩の大久保利通、西郷隆盛、長州藩の木戸孝允、公家の岩倉具視らの思惑を、徳川慶喜は、その優れた政治力で、次々と粉砕することになる。

「一橋の胆力、決して、侮るべからず。実に、家康の再来を見るが如けん」

と、木戸孝允が徳川慶喜を評価した手紙を書いたのは、この頃のこと。

そして、討幕派は、政治的に幕府を倒すのは不可能と判断し、武力による討幕に舵を切ることになる。

 

そして、「鳥羽、伏見の戦い」が勃発する訳ですが、徳川慶喜は、ここで、大きな失態を犯す。

それは、鳥羽、伏見での敗戦を聞き、幕府軍を見捨てて、大坂城から、江戸に逃げ帰ったこと。

これは「将軍」として、「武家の棟梁」として、あり得ないこと。

そして、この出来事は、徳川慶喜の「言っていること」「やっていること」が、ころころと変わってしまうという行動の象徴でもある。

 

明治に入ってから、徳川慶喜は、かつて、自分の家臣だった人たちを会うことを避けていたようですね。

趣味に没頭し、静かに生活をしながら、自身の復権を待っていた。

 

確かに、「徳川慶喜」という人物は、何事にも、非常に、優れた人物であったことに間違いはない。

しかし、言うこと、やることが、その時、その時で、ころころと変化をしてしまうというところが、とても「徳川慶喜」という人物を分かり辛くさせてしまい、幕末の政治を混乱させている一因にもなっているような気がする。

 

もし、徳川慶喜が、第13代将軍、または、第14代将軍に就任し、早い段階から、幕府の最高権力者、つまり「将軍」として、自分の思い通りの政治を行うことが出来ていれば、もっと、別の政治の流れがあったのかも。

 

 

ちなみに、この「日本史リブレット」のシリーズは、薄い本で、読みやすく、分かり易いので、大好きです。