宇野から玉に抜ける旧道があります。
国道430号線や、藤井海岸を通る道が出来る前は、この道が、宇野から玉に抜けるメイン通りだったのでしょう。
この旧道に、昔から気になっている家があります。
それが、この家です。
左の道が、旧道。
そして、右手に見えるのが、気になっている家。
庇の下に、小さな看板があります。
拡大します。
「山手」というのは、このお店の名前ですかね。
そして、個人的に気になっているのは「貸本」という文字。
反対側から見た看板です。
書かれている文字は、同じですね。
さて、この「貸本」というもの。
戦後に流行し、1950年代から1960年代にかけてが最盛期だったそう。
当時は、新刊を売る本屋よりも、店舗の数が多かったよう。
そして、この「貸本」から、有名になった漫画家も多い。
水木しげるさんなど、その代表格ですよね。
恐らく、この家もまた、当時、貸本屋だったのでしょう。
そして、その時の店舗が、そのままの形で、残っているようです。
正面から、かつて、店舗だったのであろう家の中を見たところ。
勝手に、撮影をしてしましたが、今、この家に住んでいる人の目に留まると、怒られますかね。
中には、棚があり、その棚には、未だに、本が並べられています。
昔は、「まだ、このお店は、営業をしているのかな」と思って、見ていましたが、そのようなはずはないでしょう。
当時、「貸本」「古本」として並べられていたものが、今でも、残っているということでしょうか。
さて、戦後、なぜ、「貸本」がブームとなったのか。
ウィキペディアから。
やはり、当時、「本」というのは、高価なもので、多くの人が、本を「買う」よりも「借りる」方を選んだからということ。
そして、著作権の問題もあったそうですね。
当時は、第三者が、別の第三者に「本を貸す」ということを著作権者が認める権利(貸与権)が考慮されていなかったため、自由に本を貸すという仕事が、比較的簡単に、個人で行うことが出来たというのも理由だそう。
ちなみに、この「本」についての「貸与権」が、著作権法の改正によって認められたのは、2005年と、最近のこと。
これは、意外でした。
やはり、ツタヤなどの大手レンタルチェーンなどで、コミックスのレンタルなどが行われるようになったことが影響をしているようです。
さて、なぜ、貸本屋が、無くなってしまったのか。
それは、1960年頃から、図書館の充実や、本の発行部数の増加、そして、本の価格低下がなど原因のよう。
そして、貸本専用の書籍も、1960年代を最後に、無くなってしまったということ。
ちなみに、貸本屋が、どういうシステムで、客に本を貸していたのか。
以前、読んだ本に書いていたことを説明してみます。
本を客に貸しても、必ず、返って来るとは限らないですよね。
そこで、貸本屋は、まず、その本、一冊分のお金を客から受け取り、そして、本を返してもらった時に、代金以外の分のお金を返却するというシステムを取っていたようですね。
これならば、例え、本が返って来なくても、その本を売ったと思えば、貸本屋に損は無い。
そして、ある時、一つの貸本屋が、客の住所、氏名などを店に登録し、その登録をした客に、本を貸しだすという制度を始めたそうです。
これならば、客は、最初に、大きなお金を払わなければ良い上、貸本屋としても、本が返って来なくても、相手の身元が分かっているので、本を取り返すことが出来る。
そして、そのシステムが、全国に広がることになったよう。
これは、今の、レンタル屋と同じシステムです。
個人的には、やはり、本が好きなので、本は、買って、手元に置いておきたい。
図書館で本を借りるというのも、あまり好きではないんですよね。