国道30号線を、玉野市から北上し、岡山市街地に向かって走っていると、左手に、いくつかの車の残骸や、ゴミが放置されている場所があります。

その中に「オート三輪」があるのが、昔から、気になっていました。

写真を撮りに、行ってみました。

 

 

 

 

さて、この「オート三輪」という車。

僕が子供の頃は、普通に、近所の道を走っていました。

この「オート三輪」を見なくなったのは、いつの頃からでしょう。

小学校の中頃には、すでに、見なくなったような気がする。

 

僕が、現役で走っているオート三輪を最後に見たのは、1999年、当時、働いていた会社の用事で、東岡山方面に出かけた時。

今、このオート三輪を実用で乗っている人は、多分、居ないのでしょう。

もっとも、趣味でオート三輪を所有し、稼働させている人は、多く居るのようで、動画なども、ネットを探せば、いくつも出て来る。

 

この写真のオート三輪は、ネットで調べてみると、マツダの「T1500」または「T2000」と呼ばれる種類のもののようですね。

1959年から、1974年まで生産されたということ。

 

さて、この「オート三輪」について、ネットで調べてみる。

 

軽便、安価で、積載力もあり、悪路に強く、小回りも利くということで、1930年代から、1950年代頃まで、盛んに生産、使用がされたということ。

 

1951年に、オート三輪の「車体幅」や「車体長」、「排気量」についての制約が撤廃され、大型化が進むことになる。

しかし、オート三輪は、あくまでも「小型自動車」という扱いのため、1955年には、制限かかけられたそう。

僕が、子供の頃に、よく見ていたオート三輪は、これ以降の、大型のオート三輪と言うことになるのでしょう。

ダイハツの「ミゼット」とか、マツダの「K360」といった小型のオート三輪が実用として使われているのは、見た記憶がない。

 

1965年までは、三輪運転免許というものがあったそうですね。

この免許があれば、四輪の車は乗れないものの、オート三輪は、乗ることが出来たのでしょう。

 

価格面、性能面で、オート三輪は、次第に、四輪車に対抗出来なくなり、大手では、ダイハツが1972年、東洋工業(マツダ)は、1974年に、オート三輪の生産から撤退をしたそう。

しかし、オート三輪もまた、味のある乗り物ですよね。

無くなってしまったのは、残念です。