川端康成の短編「伊豆の踊子」。

 

「雪国」と並ぶ、川端康成の代表作ですよね。

個人的にも、大好きな小説です。

 

 

この小説は、川端康成の実体験を元にした小説だそうですね。

しかし、いわゆる「私小説」として、実体験を、そのまま、書いたものではないのでしょう。

そして、この小説もまた、物語の筋らしいものは感じられない。

主人公である「私」と、旅芸人一向の心の触れ合いが、感覚的に描写をされている。

それが、何だか、読んでいて心地良いもの。

 

一高の生徒である「私」は、伊豆に一人旅に来ている。

そこで見かけた旅芸人の一向、その中でも、「踊子」と表現されている一人の少女に気を引かれる。

「私」は、旅芸人一向の旅の道連れとなり、下田へと向かうことに。

そして、下田での別れ。

「私」は、船の中で、涙を流す。

 

川端康成が、実際に、伊豆を一人で旅したのは、大正7年(1918)だそう。

一高へ入学をした翌年だそうです。

この時、旅芸人一向と道連れになる。

川端自身は、「この小説は、事実をそのまま書いたもので、虚構は無い」と話しているそうですね。

果たして、それは、事実なのかどうか。

 

さて、この小説を読む上で、理解をしておかなければならない時代背景が、一つ。

 

それは、「私」が道連れとなった「旅芸人」と呼ばれる人たちは、当時、「差別」を受けていた人たちだったということ。

もちろん、小説の中でも、その説明のような描写はいくつもあり、例えば、「私」の周囲の人たちが、旅芸人たちを蔑視するようなセリフが、いくつもある。

また、旅の途中、村々の入口には、「物乞い、旅芸人の立ち入りを禁止する」と言った立て看板が立てられていたりもする。

ちなみに、「私」は、一高生という、将来を約束されたエリートでもある。

エリートと、差別をされていた人たちとの交流。

その微妙な関係を、まず、理解をしておかないいけないのではないかと思うところ。

 

また、当時の風俗として面白いのは、当時、旅の宿では「混浴」が当たり前だったようですね。

「私」が、旅芸人の女性たちに「一緒にお風呂に入ろう」と誘われて、困る場面もあります。

また、別々に風呂に入っていても、男の「私」と、旅芸人一向の栄吉が一緒に風呂で話をしていると、離れた場所の風呂に女性たちが入っていて、「踊子」が、「私」と栄吉に気がつき、風呂から上がって手を振る場面もある。

つまり、男湯、女湯という区別は、当時、無かったということなのでしょう。

 

江戸時代、公衆浴場は「男女混浴」が当たり前で、実は、これは、公式には、明治時代に入った時、欧米並みの近代国家を目指す国として、これは良くないということで、公衆浴場は男女を別々にすることに決められたという話を聞いたことがありますが、それは、かなり、曖昧だったということなのでしょうね。

 

ウィキペディアを見ると、この「伊豆の踊子」には、様々な人たちが、多くの論文や研究を発表しているそうですね。

しかし、結局のところ、小説というものは、読んだ人が、その内容を、どのように感じ、どのように解釈をしようが自由なはず。

「正しい」とか「間違っている」とか。

そのようなものに惑わされる必要は無いでしょう。

 

ちなみに、この「伊豆の踊子」が、昭和2年(1927)に刊行をされる時、校正作業をしたのが梶井基次郎だそうです。

ちなみに、梶井基次郎は、川端康成の二つ、年下だったようですね。

若くして亡くなるということが無ければ、川端康成と肩を並べる作家になっていたでしょうかね。