新美南吉の童話「ごん狐」。

とても有名な作品で、名作と呼べる作品でしょう。

 

 

 

 

個人的に、新美南吉の作品は大好きで、この「ごん狐」は、新美南吉のデビュー作ということになる。

何と、新美南吉が、この作品を書いたのは17歳の時。

 

実は、この作品は、新美南吉が生まれ育った愛知県半田市に伝わる「口頭伝承」が元になっているそうですね。

しかし、この「口頭伝承」は、今では失われてしまっているということ。

恐らく、こういった、その土地、その土地の「口頭伝承」による物語は、各地にたくさんあったのだろうと想像します。

しかし、それは、ほぼ、全て、今では失われてしまったのでしょう。

 

この「ごん狐」は、南吉が18歳の時に、雑誌「赤い鳥」に投稿したもの。

 

この雑誌「赤い鳥」は、鈴木三重吉が、政府が主導をする唱歌や説話に対して、子供たちにとって純粋な心を育成するために、新たな童話や童謡などを創作、掲載するために発行を始めた雑誌。

芥川龍之介、北原白秋を始め、当時の有名作家たちも、この活動に賛同し、当時、「赤い鳥運動」と呼ばれ、ここから、芸術性の高い童謡や児童文学が次々と生まれ、一大潮流になって、社会に大きな影響を与えたそうです。

 

さて、ここで、一つ、問題が。

 

実は、新美南吉が「赤い鳥」に投稿した「ごん狐」と、実際に、「赤い鳥」に掲載された「ごん狐」とでは、内容に、大きな改変があるそうです。

そして、その「ごん狐」を改変したのは、鈴木三重吉で、新見南吉の「ごん狐」を、より分かり易く、より普遍的に、子供たちに受け入れてもらいやすいように改変をしたものを雑誌に掲載したそう。

そして、今、多くの人が読んでいる「ごん狐」は、この鈴木三重吉の手が入ったものということになる。

 

もっとも、だからといって、新見南吉という作家の価値が、落ちる訳ではない。

29歳という短い生涯の中で、他にも、素晴らしい作品を、たくさん書き残している訳ですから。